中国もガソリン車を廃止する期日を決定など、化石燃料自動車への風当たりはますます強く、電気自動車化の動きは強まるばかり。
日本の対策の立ち遅れが指摘されています。
もちろん、ガソリン車廃止といっても、私が前から主張しているような「自動車社会からの脱却」などと言うことを目指す国はあるはずもなく、単に電気自動車や水素電池車への置き換えということなのでしょう。
2019年度の日本の新車の電気自動車比率は0.7%、世界では2%ほどでしょうか。
まだまだ先は遠いとも見えますが、しかし技術的には蓄電池の改良を除けばほとんど出来上がっているものですから、やろうと思えば国の施策次第でどうとでもなるように見えます。
果たして本当に「どうにでもなる」のでしょうか。
問題は「蓄電池」にあるのは明らかです。
蓄電池は現在はまだ重量・体積ともに非常に大きいもので、必要なものを車に積むと車内の多くを占めてしまうという問題があります。
また、価格も非常に高くそれが自動車本体の価格も釣り上げます。
しかし、どう考えても一番の問題は「本当に十分な蓄電池を供給できるか」のようです。
それでなくても、蓄電池の需要はさらに増え続けています。
風力や太陽光発電の電力の出力安定化のためにも蓄電池は必須であり、しかもそちらの必要な容量は非常に大きなものです。
また、家庭用にも需要は高まっており、太陽光発電電力の買取価格が低迷するとその消費者の不安に付け込んで蓄電池を売り込もうという動きも強まっています。
これにさらに世界で年間1億台にもなる新車がすべて電気自動車になったら、それに載せる蓄電池も相当な量になるでしょう。
現在主流のリチウムイオン電池はリチウムの他にコバルトを使用しており、どちらも供給に不安があります。
その他の蓄電池では鉛蓄電池、ニッケル水素蓄電池とありますが、これも金属材料の供給が不安です。
新しい電池として、ナトリウムイオン電池やカリウムイオン電池というものが研究され、実用化に向かっていますが、これらは原料確保は有利であるものの技術的に大規模利用が可能であるかどうかはまだ分からないようです。
さらに、蓄電池の性質として「寿命が短い」ということがあります。
これは充電・放電を繰り返すことでどうしても避けられないことだということですが、もしも10年にも満たない期間で寿命が来ればそのリサイクルができるのかといった体制整備が不可避となります。
こういった自動車のエネルギー源の交替は、二酸化炭素温暖化による気象災害発生を口実に強く主張されていますが、だからと言って「できること」と「できないこと」が入れ替わるはずもありません。
「できないこと」は「できない」
したがって、「脱自動車社会」が唯一の脱出口であるということを認めなければいけません。