爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

水素エネルギーとは何か、そして何でないか

水素製造拠点が福島県原発事故被災地にできたとか、大げさな報道がされています。

www.nikkei.com

太陽光パネルで発電した電力で水素を製造する」とのことです。

そのために

同施設では太陽光発電設備で発電した電気を使って水を分解し、水素を製造する。18万平方メートルの敷地内に計20メガワットの発電容量の太陽光パネルを設置。1日に、水素で走る燃料電池車(FCV)560台分を満タンにできる量を製造できる。

という設備を作りました。

20メガワットの太陽光発電パネルというのもすさまじいほどの量で、6万8千枚のソーラーパネルが並べられているそうです。

 

それだけの施設であれば相当な経費がかかっただろうと思ったら、事業費200億円とか。

もちろん建設費でしょうから、今後の操業経費などはさらに重くのしかかるでしょう。

 

さて、それほど多くの経費と資源、エネルギーを費やしてまで作るほどの価値があるのが水素ということでしょうか。

 

水素の用途は燃料電池で酸素と反応させて電気を作り出すというだけのことであり、上記記事にもあるように水素で走る燃料電池車(FCV)に使うというだけのもです。

 

こんなに大量の太陽光発電パネルを使うのならそのまま電池自動車に充電した方が効率的じゃないのと思う方が当然でしょう。

ここで発電してその電力を使い水を電気分解し水素を作り、その水素を燃料電池車で酸素と反応させて電気を得る、この大きく迂回する経路で各部で出るエネルギー損失を考えれば相当非効率であるのは間違いありません。

 

それでも水素を使いたいのか。

実はそうではないのでしょうね。

この唖然とするほどの大がかりな工場設備、そして当然ながら水素を運びそれを燃料電池車に入れる水素ステーション、こういった驚くほどの設備を「作ること自体が目標」なんでしょう。

そこで無駄にした経費と資源とエネルギーがそのまま装置産業のふところに入る。

それが目的であるならば、その欲望と下心が十分に理解できます。

 

それにしても、水素のエネルギー的価値と言うものが分かりにくいため、上記のこの工場での製造量、「HCVの560台を満タンにできる量」というのが感覚的にどの程度のものか分かりません。

仮にガソリンで考えるとして、普通車のガソリンタンク容量は平均40L程度だそうです。

その560台分で、560×40=22400(L)

KLで表すと約20kL、なにこれ、タンクローリー1台分もないじゃん。

ローリー1台分の燃料を作るのにあの巨大プラント?

やっぱり装置産業が儲けるだけのものなんでしょう。

 

 

なお、もうちょっと水素エネルギー(エネルギーとは言えないって)の有効性について考えてみると、

「電力の欠点」に話が向いてしまいます。

 

「水素の用途」で語られるのはほとんどが自動車、そして可能性としては航空機やロケットも挙げられます。

このような用途に対しては「電力」は非常に不利です。

電気自動車が続々と新機種投入され増えていくようなイメージがありますが、そこにはどうしても蓄電池の壁というものが立ちふさがります。

ハイブリッド車でも蓄電池が自動車内の大きな容積をしめるということでも分かるように、その容量、重量が大きな問題となります。

さらに蓄電池を製造するにあたり、その原料が十分に供給できるかということも問題となります。

リチウムイオン蓄電池や、鉛蓄電池など多くの種類がありさらに新しい蓄電池の研究も盛んに行われていますが、それでも「鉄だけ」で作ることができる蓄電池は不可能でしょう。

なんらかのレアメタルが使われるとなれば、とても自動車用だけでも賄いきれないのは間違いありません。

さらに、発電機の変動防止や夜間用のために蓄電池を使うとなればどれほどの需要があるか、恐ろしいほどです。

この「電力の弱点」を補える(ように見える)のが「水素」であるかもしれません。

 

自動車や航空機などの移動装置のエネルギー源として水素を使えれば、無理に蓄電池を大量生産する必要は少なくなるかもしれません。

おそらく、それを狙っての話なのでしょうが、それにしても非効率、危険、高価という欠点ばかりが目につきます。

 

それにしても、この施設を福島県浪江町に作るというところにも作為が感じられます。

もしかして、「他の地域には作れない?」

危険性でもあるのでしょうか。