フランスの思想家アレクシス・ド・トクヴィルはフランス革命の直後に生まれて民主主義というものを深く考察し、また当時市民の国として新たな社会構築が進んでいたアメリカを視察して「アメリカのデモクラシー」などの本を書いたことでも知られています。
政界でも活躍しバロー内閣では外務大臣を務めました。
書籍執筆当初も社会的に注目を集めたのですが、その後も読まれ続け世界各国に影響を与えています。
なお、トクヴィルの著作はその後多くの誤解をもって読まれてきたとしています。
その「デモクラシー」では旧大陸と比べて良好な道を歩んでいると判断されたアメリカ社会の中に、平等が進行するとともに生じてくる多くの問題を解決する手段が示されているというものです。
いわば、民主主義の持つ病の処方箋をトクヴィルが示しているというものです。
しかしトクヴィル自身が書いているように、この本を書いたのはアメリカ人の法律と習俗の模倣を呼びかけようと思ったのではない、ということです。
トクヴィルの眼前にあった、社会そのものが解体する状況に、ただの社会の仕組みに関わる技術以上の何物かを見出そうとしていたということです。
トクヴィルはシェルブールの近くの名前も同じトクヴィルという村を領有する貴族の子どもとして生まれました。
父親は軍人としてまた政府官僚として国王に仕えていたため、革命の時には反革命容疑者として長く牢に入れられ、いつ処刑されるか分からない状況だったようです。
その三男として1805年に生まれたのがアレクシスでした。
なお、名前の表記は「アレクシ」とするのが普通のようですが、本書では「アレクシス」としています。
パリ大学法学部を卒業後判事修習生となりますが、25歳の時にアメリカに渡り各地で見聞を広め1年近く滞在し、それをもとに「アメリカのデモクラシー」を著します。
さらに下院議員を目指し2度目の立候補で当選、その後アカデミー・フランセーズの会員に選ばれるなど、政界と思想界で活躍します。
彼がアメリカで見たのは、世界中から集まった人々が一つの原則のもとに競い合っている状況でした。その原則というのが「利益」です。
そのため、人々の心は政治ではなく経済を向いてしまうと見ぬきました。
それをアメリカの「商業の精神」と呼んでいます。
思想としてなかなか手強いもののようです。
簡単に読めるようなものではないのでしょう。