爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「『日本の伝統』の正体」藤井青銅著

歴史だけは古い日本だけあって、「古くからそうです」と言われるとなんとなくありがたく思ってしまうところがあるようです。

しかし、「日本の伝統」と言われるものでも、本当に「古くからあるもの」なのか。

 

そこに疑問を持った著者が、本当のところいつ頃からあるものなのかを調べました。

 

いつ頃から続いていれば「日本の伝統」と言えるのか。

第二次大戦の後にできたようなものは、ちょっとそうは言えないと誰もが思うでしょう。

それなら「明治以来」ならどうか。

それでも150年以上続いているから企業や商家なら立派な歴史と言えますが、「伝統の風習」と言えるかどうか。

少なくとも「江戸時代から」程度は欲しいものです。

しかし「江戸時代」も265年もありました。

その最初と最後ではかなり違います。

 

正月にあれこれある行事はいかにも「伝統」らしきものです。

おせち料理というものも伝統そのもののようです。

たしかに、「お節料理」のお節は奈良時代からある祝いの節句の料理ということです。

ただし、それを「重箱」に詰めるというのはせいぜい幕末から明治。

完全に定着したのは戦後にデパートの販売戦略でできてからだそうです。

 

箱根駅伝も正月の伝統行事のようですが、これは第1回が大正9年というのは比較的知られているでしょう。

面白いのは、正月になればBGMとしてよく流れれる「春の海」という曲です。

これも宮城道雄作曲ということは知られているでしょうが、明治くらいかなという感じでしょうか。

しかし作曲されたのは昭和4年、なんと箱根駅伝より新しい。

 

神前結婚式も最近は少なくなりましたが、日本の伝統らしき様式に見えます。

最初に行われたのは、明治33年、のちの大正天皇、当時の皇太子の婚儀に際して様式を定めて行われた時だそうです。

実は結婚式としてはキリスト教式の方が早く明治初年、さらに仏前結婚式も明治25年と神前結婚式より早く行われていたそうです。

 

夫婦の姓が違うことも認めようという要求が強くなっていますが、夫婦同姓が日本の伝統だと主張する人々も多く、なかなか進まないようです。

庶民まで名字を名乗れるようになったのは明治になってからですが、明治8年に「平民苗字必称義務令」という法律ができて必ずだれもが名字を名乗らなければならないようになりました。

その時に、「結婚した女性の苗字はどうなるのか」という疑問が生じ、政府に問い合わせが来たそうです。

その時に、太政官指令で決められたのが「他家に嫁いだ婦女は、婚前の氏を名乗る」とされていました。

つまり、この時点では「夫婦別姓」と決められていたのです。

その後、明治31年になり旧民法が発布され、そこではじめて「夫婦同姓」が制定されました。

日本の伝統などといってもこの程度のものです。

 

京都の伝統、三大漬物と言われますが、しば漬け、すぐき漬け、千枚漬けがあげられます。

しかししば漬けは約830年、すぐき漬けは420年の歴史があるものの、千枚漬けが作られたのは幕末の慶応元年、宮中の料理方をつとめていた大黒屋藤三郎が創作したものだそうです。

 

京野菜にも数々ありますが、万願寺トウガラシもそれに数えられます。

しかし、「万願寺」とは京都のお寺ではなく舞鶴市の地区名で、このトウガラシはその地区の農家が大正末期から昭和初期にかけて伏見系のトウガラシと、カリフォルニア・ワンダー系のトウガラシを交配させて作り出した品種だそうです。

したがって、万願寺トウガラシについては「京都の伝統野菜に準じる」と称されているとか。

 

神社、神宮も2000年以上の歴史があると称するところもありますが、意外に新しいものも多いようです。

平安神宮 明治28年創建

橿原神宮 明治23年

明治神宮 大正9年

吉野神宮 明治25年

湊川神社 明治5年

といった具合です。

なお、伊勢神宮は創建はたしかに2000年以上前と言われていますが、ながらく在位中の天皇が参拝することはありませんでした。

それが初めて参拝したのが明治天皇明治2年からのことです。

 

どうやら、かなりの「日本の伝統」が新しいものであるようです。

 

「日本の伝統」の正体

「日本の伝統」の正体

  • 作者:藤井 青銅
  • 発売日: 2017/11/23
  • メディア: 単行本