十字軍については学校での世界史には必ず出てくるもので、誰も少しは記憶にあるものでしょう。
しかし、その細かいところまでは知らないことが多いのでは。
まあ、普通にはそれほど知る必要もないのかもしれませんが。
この本では、十字軍の始めから終わりまで、さらに主要登場人物についてかなり細かく、現地の写真や図版、絵画まで掲載して分かり易くその全貌を捉えることができます。
1095年、フランスのクレルモンで教会会議が開催されました。
なお、これをかつては「クレルモン公会議」と呼んでいましたが、ローマ教会において「公会議」というのは厳密な定義があり、これまで21回開催されていますが、クレルモンにおけるこの会議はその定義を満たしておらず、「教会会議」と呼ぶのが適当だということです。
これは、ビザンツ皇帝アレクシオスからの救援要請により、ローマ教皇ウルバヌス2世が諸侯を集めて開催したものです。
この場で、聖地エルサレム回復のための十字軍が決議されました。
それにこたえ、1096年から諸侯の率いる十字軍が出発します。
しかし、第一回十字軍には国王は誰も参加せず貴族が率いる軍のみでした。
この結果、エルサレムを奪取しエルサレム王国のほかエデッサ伯国、アンティオキア公国、トリポリ伯国などの「十字軍国家」が形成されました。
他に有名な十字軍といえば、エルサレムなどには向かわずにコンスタンティノープル征服に進んだ第4回十字軍でしょう。
ヴェネツィアに操られ商業利益に走ったといわれていますが、実際はそのような意図的なものではなく、偶然に左右されたものだったようです。
十字軍の時代の英雄といえば、イスラム側のサラーフッディーン(サラディン)でしょう。
クルド人の家系で、ファーティマ朝に仕えますが、その後エジプトにアイユーブ朝を開きます。
しかし、そこではクルド人を重用するということもなく、クルド人国家という意識は全く無かったようです。
こういった成書では珍しいのですが「変換ミス」がそのまま活字になっていました。
本書92ページ、「フリードリヒ二世」の項でのことです。
項名の「フリードリヒ二世」の横に、本文より少し大きい活字で要約が掲載されているのですが、その中に「不本意な波紋宣告を受けて出陣した皇帝は」とありました。
ここは「波紋」ではなく「破門」でしょう。
私のブログなどではしょっちゅうある変換ミスですが、出版された成書で残ってしまったというのは珍しいかもしれません。