爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「ロードス島攻防記」塩野七生著

十字軍で占領したエルサレムに本拠を置いていた聖ヨハネ騎士団エルサレム陥落のあと居場所を失い放浪しますが、ロードス島を得てそこを要塞化しさらに海軍力を強化してイスラム船団に対する海賊活動を始めます。
オスマントルコは海上通商は盛んではなかったものの、イスタンブールからどこへ向かうにもロードス島のそばを通らざるを得ず、騎士団は「キリスト教の蛇」と呼ばれ恐れられます。
オスマントルコのスレイマン一世はヨーロッパ側への攻勢も強めつつ、いよいよロードス島を制覇する戦略を始めます。
聖ヨハネ騎士団は正規メンバーは貴族出身者のみで、その数もせいぜい500人ほどでしかなく、協力者の傭兵やロードス島民を含めても数千人しかないのに対し、オスマントルコは数十万人の兵力で侵攻してきます。

コンスタンティノープル攻防戦で初めて威力を発揮した大砲がさらにその性能を上げたのに対し、守る側も城壁の構造を工夫し砲撃への抵抗性を強めるようになりました。その城壁建設にはヴェネティア人のマルチネンゴという技術者が腕を振るいます。そのためもあり数ヶ月の籠城を耐えます。
しかし、地下道を掘り爆薬を仕掛けるという戦法や絶え間の無い砲撃でさすがの堅城も破られるということになりました。

その後の救いはスレイマン大帝が敗者を処刑もせず、奴隷にもせずに解放したことです。時代は徐々に近代に向かっていたことが分かります。

ロードス島から退去した聖ヨハネ騎士団は多くのメンバーを失いながらもスペインからようやくマルタ島に本拠を置く許可を得てマルタ騎士団と呼ばれるようになりました。その後、ナポレオンにマルタ島を追われましたが、いまだにその伝統を守っているようです。