爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

夢の話「電車の中で知人に出会う」

夢は見ているのですが、(眠って見るほんとうの夢の方の話です)最近はそれどころではなかったので、あまりこの「夢の話」を書く気にはなりませんでした。

しかし、今朝は少し雨も小降りとなり気が楽になったので書いておきます。

 

舞台はかつて過ごしていた湘南の町。

茅ヶ崎駅から電車に乗るのですが、どうやら通勤のためのようです。

電車は昔の東海型、今の湘南電車はドアが4つも5つもあり、乗り降りがしやすいためだけに作られているようなものですが、かつての電車にはデッキがあり両側に2つだけドアがある車両がありました。

 

すると、電車の中に知った顔が。

以前に家庭教師をしていたD君です。

大学に通うのでしょうか。

教えていた頃は勉強になかなか身が入らず、英単語や漢字も覚えられずに苦労した子でしたが、いっぱしの大人ぶった顔で話をします。

 

今回の夢はそれ以上の進展なし。

いつもの夢のような「早く行かなきゃ」といった切迫感もなく、スリルもサスペンスも全く無し。

という珍しく平和な夢でした。

 

いつもの通り、実際の経験との違いの解説。

 

実は私は、「通勤」で電車を使ったことは一度もありません。

高校3年間、予備校1年間、大学4年間は通学で電車に乗りました。

特に、大学4年間の電車通学は茅ヶ崎から東京までの長時間通学で、乗っている時間だけで1時間半以上という長さで、もう電車には乗りたくないという思いで就職先を選び、その甲斐あってずっと職住接近、徒歩・自転車での通勤でした。

 

その長く辛い大学通学の時に乗っていたのが湘南電車でした。

そのころにもすでに111系、113系といった3つドアの車両が多かったのですが、たまに東海型という、かつて急行「東海」にも使われていた153系という電車が通勤時間帯の普通列車にも入っていました。

混雑している時の駅の乗り降りには不便でしたが、長く乗る場合は車両の中まで入ってしまえば乗降客に押されることもなくのんびりと本を読むことができました。(立っていても)

 

登場人物の一人、D君。

去年まで3年間、家庭教師で指導していました。

高校入学時から大学合格まで面倒を見ましたが、学校の定期試験でもたびたび赤点という子でした。

普通に会話をしていれば、ところどころにキラリと光るものを感じられるのですが、英単語や漢字などの記憶というのが特に苦手で「これは覚えておけ」と何度言っても忘れてしまいました。

それでも繰り返し教え込み、無理かと思っていた大学にも合格、これを最後に家庭教師は廃業としました。

 

通学の時に電車で「知り合いに会う」ということは、熊本のこの辺の電車であれば時々あることのようですが、大学時代には混みあった湘南電車ではほとんどありませんでした。

なにしろ4分おき位にどんどんと電車が入ってくるし、その電車も15両編成、1両違えば知った顔があっても分かりません。

たまたま同じ電車の同じ車両に乗り合わせるということがなければ、まず無かったことです。

それでも数回はあり、その時のことは鮮明に記憶しています。

中学の時の憧れの女性に、渋谷駅で電車を降りる時に彼女が乗ってくるところで会ったこと、ほとんど話もできず挨拶しただけですが。

これも中学時代の同級生に同じ車両で出会ったことも。

ただし、何かつらそうな表情で座っていたので声もかけられませんでした。

今だったら別の行動が取れたかもしれませんが。