爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「ぼくが映画ファンだった頃」和田誠著

昨年亡くなった和田誠さんはイラストレーターとして多くの印象的な絵を残しましたが、子供の頃からの映画ファンでもあり、それが高じて実際に映画を監督して作ってしまったということもありました。

そのような筋金入りとも言える和田さんが、映画について色々なところに書いた文章をまとめたものが本書です。

 

ご自身の子供の頃からの映画体験、さまざまな映画についての雑学、印象的であった映画を一本ずつ取り上げた文章、俳優や監督など映画の世界を彩った人々が亡くなった時に追悼文といった内容です。

最後に、異例の顔ぶれの対談として、三谷幸喜さんとビリーワイルダーについて語ったもの、そしてジェイムズ・スチュアートとの対談が収められています。

ジェイムズ・スチュアートとの対談は1985年に発表されたものですが、和田さんが高校時代の1954年にグレンミラー物語を見て感動してご本人にファンレターを出し、その中に似顔絵も同封したところ、返事が来てその中で似顔絵を褒めてくれたことで絵を描くことを仕事とする決心をしたという、非常にご自身の中では大きな意味を占めることであったということで、思い入れたっぷりの対談となっています。

 

「映画と伏線」という話はそこで示された例も懐かしいものですが、伏線というものの価値を十分に表現したものとなっています。

ヒチコックがそれを上手く生かしていったということは名人芸とも言えるものでした。

「ダイヤルMを廻せ」のヒロインは、夫が雇って妻を殺しに来た殺し屋を、逆にハサミで殺してしまうのですが、なぜ手近にハサミがあったかと言うと夫が自分に関する記事の切り抜きを妻に頼んで家を出たところからきています。

そして、それが夫がアリバイ作りのために家を出たことにつながり、さらに切り抜きを頼んだのは妻に必ず家に留まらせるためだったということです。

 

「グレンミラー物語」でも伏線が効果的に使われていました。

シナリオライターはヴァレンタイン・デイビスとオスカー・ブロドニーでした。

グレン・ミラーがまだ売れない頃、質屋で模造真珠の首飾りを見るところから始まります。

彼にとっては高いものですが、恋人に渡すために買いました。

二人で「茶色の小瓶」という曲が流れているのを聞き、グレンはつまらない歌だと言いますが、彼女は大好きだと言います。それが最後にも関わってきます。

その後、グレンミラー楽団は徐々に売れるようになり、妻の誕生日パーティーで本物の真珠の首飾りを送り、さらに新曲を演奏するのですが、それが「真珠の首飾り」

最後のシーンで、グレンが飛行機事故で行方不明となり、絶望なのですが、ミラー家でクリスマスプレゼントとして新たに編曲された曲が演奏されます。それが「茶色の小瓶」

 

「7人の愚連隊」という映画が、和田さんのお気に入りの一つでした。

1964年製作のもので、フランクシナトラがプロデュース、その他ディーン・マーチンやサミーデイビスJrなどのシナトラ一家と言われた連中に、ビング・クロスビーを迎えた豪華キャストのミュージカルでした。

まだ扱いは軽いものですが、ピーター・フォークも出演し歌も披露しています。

実は、この点が和田さんが驚いたところで、サウンドトラック盤を入手し聞いてみたらちゃんとピーター・フォークの歌が入っていたのですが、映画公開時に見たときにはそのシーンは無かったそうです。

これは日本では上映時間の関係でカットしてしまったようです。

今では刑事コロンボの大ヒットで人気俳優となったピーター・フォークで、シーンカットなど考えられないというところですが、当時はまだそれほど有名ではなかったからでしょうか。

しかし、実はこの映画ではビング・クロスビイがソロで歌うシーンもカットされています。

これは映画のストーリー展開上は重要なところで、カットされてしまうと映画の印象もかなり違ったものになるというものでした。

こういった発見もあるので、映画ファンは止められないということです。

 

和田さんは1936年生まれ、戦後の映画の黄金時代というべき時代にはもう少年期を通り過ぎていた頃ですので、その影響も強かったのでしょう。

 

ぼくが映画ファンだった頃

ぼくが映画ファンだった頃

  • 作者:和田 誠
  • 発売日: 2015/02/15
  • メディア: 単行本