爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「科学の落し穴 ウソでもないがホントでもない」池内了著

著者はもともとは天文学者・宇宙物理学者ですが、その後の活躍は科学哲学や科学教育といった分野に移ったようです。

また、疑似科学の批判もされています。

 

本書は科学というものについてあちこちに書いたエッセイをまとめたものです。

中日新聞や「グラフィケーション」という雑誌、その他に書かれたものですので、一般向けを意識した内容となっています。

 

一編は4ページから長いものでも10ページ程度ですのであまり詳細な内容ではありませんが、科学というものを感じさせるようになっています。

 

非常に多くの文章がありますが、その中から特に興味深かったものだけ紹介します。

 

2006年のグラフィケーション誌に書かれた「科学のコミュニケーション」という文章です。

かつての科学者は自分の成果を公表するということはありませんでした。

1535年、イタリアのタルターリアという数学者は3次方程式の解法を発見しました。しかし、それを公表することはなく密かに周囲のみに伝えました。

それを聞きつけたのがカルダーノで、タルターリアから聞き出した解法を自分の発見として公表してしまいました。以来、3次方程式の解法発見者はカルダーノとなってしまいました。

このように、科学上の発見の権利は、それを初めて発見した者ではなく、初めて公表したものに与えられます。

その公表の仕方というものが確立していなかった時代には友人などへの手紙に書いて送付し、その日付を発表日時として権利主張していました。

 

そして、17世紀になってようやくイギリスで科学雑誌というものが創刊されました。

王立協会の機関誌として論文を掲載するという形でした。

現代では科学雑誌の発行というものが、これまでの学会主体から商業資本主体に変わってきています。果たして商業資本にその根本を握られて良いものかどうか、著者は疑問を持っています。

さらに最近では「オンライン・ジャーナル」というネット上での論文発表が増えてきました。

先取権争いが劇化しているためですが、不十分な質の論文が出回る危険が大きく、これが主流になればまともな科学が廃れるのではと危機感を持っています。

 

2008年5月のグラフィケーション誌には、著者がテレビ番組「課外授業 ようこそ先輩」に出演した時のエピソードが書かれています。

著者の出身の小学校を訪れ、2日間にわたり6年生を相手に授業をしたのですが、番組はたった30分にまとめられていたと文句を書かれています。

授業の狙いは「なんで?」を考えることの重要性を子供たちに伝えるということでした。

今の子供たち(大人もでは)は便利な物に囲まれそれを使いこなすことだけに夢中になっていますが、「なんでそうなっているの」と考えることが少なくなっているようです。

それを強調したいという狙いでしたが、ちょっと刺激すれば子供たちはどんどんと楽しんで乗ってくるので、手応えが感じられたそうです。

しかし、子供たちを見て著者が懸念を持ったのは、「彼らが未来というものは与えられるものと捉えているようであった」ということです。

自分たちが未来の主人公であるという気概を持ってもらいたいというのが願いでした。

 

一つ一つ、なかなか奥深い内容を含んでいる文章が多かったと感じました。

 

 

科学の落し穴―ウソではないがホントでもない

科学の落し穴―ウソではないがホントでもない