爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「ダ・ヴィンチ絵画の謎」斎藤泰弘著

ルネサンス絵画の巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画は、その最高傑作のモナリザを始めとして多くの謎を秘めています。

それについて数多くの研究が為され、様々な学説も発表されています。

 

そういったことについて、ダ・ヴィンチ研究の専門家である著者が多くの彼の遺稿や他の関連文書の発見状況なども踏まえて解説していますが、その内容は非常に高度のものと感じますし、著者自らの大胆な仮説も含められています。

 

こういった執筆姿勢についてはあとがきにその理由も書かれています。

著者の恩師、京大イタリア文学科教授であった故清水純一氏は著者に3つの教えを残します。それについては略しますが実は「第4の教え」もあったそうです。

それは、「研究者は何よりもまず、しっかりとした研究書を書きなさい。その後で新書(!)のような一般向けの本を出せばいいのだから」ということだったそうですが、著者いわく「こればかりは時代錯誤の教えであってそれに倣って安心していたわたしが阿呆だった。現代では研究書など誰も読んでくれない。出版を引き受けてくれる出版社など自費出版でもなければ見いだせない」

だから、本書のように極めて高度な研究書も「新書」で出版しようと決めたそうです。

 

そんなわけで、本書の内容は学界トップレベルの最先端であるということでしょう。

 

まず、レオナルド・ダ・ヴィンチを本書中では「レオナルド」とのみ呼んでいますが、これは当時の人名の呼び方の習慣から来ます。

人名は「自分の名前+父親名+祖父名+曽祖父名+etc.+最後に家系や出身地名」であり、レオナルドの正式名は「レオナルド・ディ・セル・ピエロ・ディ・アントニオ・etc.・ダ・ヴィンチ」で最後のダ・ヴィンチは「ヴィンチ村出身の」という意味しか無いからだそうです。

したがって、本人がフィレンツェからミラノへ移った時には、「ダ・ヴィンチ」と呼ばれると「私はフィレンツェ出身です」と言い直したということです。

 

現代でもレオナルドの数々の絵画について、さまざまな手法で解析した結果を発表する人は多く、最近でもモナリザを画像処理したところこれはレオナルドの自画像だとした新説を発表した人がいたそうです。

これについても著者はレオナルドの残した多くの文章を解析し、肖像画はその制作者に似ないようにしなければならないという本人の文章を見出し、その注意をしたにも関わらずやはり似てしまったのではと結論づけています。

 

レオナルドは最初に生地近くのフィレンツェで活動を始めます。

若いうちから才能を表し、20歳でマエストロの資格を取りますが、絵画を描く活動にはあまり熱心ではなかったようで、頼まれた仕事を完成させないという悪癖があったようです。

一方、科学的な探究心は非常に盛んでその方面には執心していたようです。

そのためか、画家としての社会の評価は低くなりフィレンツェに居づらくなったのか、ミラノに移ります。

ミラノ公にあてた自薦状が残っていますが、最初に触れられているのは兵器の製造などについてのことであり、あとの方に「絵や彫刻も作れます」と付け足しで書かれているとか。

こうして「公国付きの技術者」となったレオナルドですが、それを良いことに自然科学の研究に力を入れることとなりました。

 

彼の描いた絵画はモナリザもそうですが、「聖アンナと聖母子」と言う絵でも見られるように、主題の人物の他に背景には様々な風景が描かれていたり、足元に意味不明な物体があったりと、謎を見つけるのが容易なほどです。

そこには数々の自然科学的な興味の対象、地形や化石なども描かれているようです。

「聖アンナ」の絵には後景、中景、前景のすべてに地球の過去と現在、未来の有様を彼の膨大な科学的研究の成果に基づいて描かれたものが含まれているということです。

 

後半部はモナリザの微笑について、様々な考証が為されています。

これについても、本人やその周辺の人々の文書、メモ、記録等が残っており、それを解析するというのが研究者の手法となっているようです。

そのために、新発見の文書などというものが出る度に定説が変化していくということにもなるようで、まだ確定的なものではないようです。

レオナルドは老年期には弟子とも召使ともつかないような同居者のサライという人物に弱みを握られていて、モナリザも奪い取られたとか、サライはそれをフランス王に売ったとか、色々と興味深い推測がなされていますが、まあそれは良いでしょう。

 

最後に著者のこの絵についての推理を書き写しておきます。

レオナルドが1500年頃にフランチェスコ・デル・ジョコンドの妻の肖像を描いたのは間違いないことのようです。

しかし、その絵は今残っているものではありません。

1515年に、メディチ家の当主ジュリアーノ・デ・メディチから「空想の女性の肖像画」を依頼されました。

その女性とはジュリアーノが若い時に秘密に恋人として子供も産まれた人だったのですが若くして死んでしまいました。

それをレオナルドはかつて描いたジョコンダ夫人の肖像画の下絵を元にして描いたのではないかということです。

したがって、実在の人物に似た所はあっても、理想の女性像となったということです。

本当かなと思わせるところはありますが。面白い推論でしょう。

 

カラー版 - ダ・ヴィンチ絵画の謎 (中公新書)

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