爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「科学者心得帳 科学者の三つの責任とは」池内了著

天文学者の池内さんですが、科学倫理といった方面の著書も書かれており、最近もそのような本を読みました。
科学倫理の教育といったことは日本の科学界ではまったくおろそかにされており、そこに発する事件なども多発するようになってしまいました。著者もそれを専門にしているわけではないのですが、いろいろと著書も出しているために他の大学から講演を頼まれることもあるそうです。

科学者の三つの責任とは、倫理責任、説明責任、社会的責任ということです。
しかし、そのどれもが現在はかなり守っていくのが厳しい状況になってきているようです。

倫理責任については、最近も大きな事件が相次いでいるようですが、単なる間違いというものも数多い上に意識的、無意識な不正行為というのも往々にして出現しやすいもののようです。
病的科学といったものもあるようで、これはミスや手抜きとは異なる原因によるものです。非常に微妙な現象からあるものを発見したと思い込むということは在り易いもので、古くは「N線」の発見というものから、ポリウォーター、常温核融合まで、あってほしいという欲望が強すぎて見えないものが見えてしまうということがあるようです。
またミスではない犯罪行為というのも絶えないようで、捏造、偽造、盗用、剽窃、など頻繁に起こっているものです。データの偽造という点ではメンデルなどでも疑われることがあるようで、偶然にしてはデータが揃いすぎているという批判もあるとか。

科学者の説明責任という点については、現在の科学者がどのような立場かと言うことも関わってきます。日本の大学の研究者について言えば、昔は経常研究費というもので賄われていたのですが、財政が悪化するにつれその額は削減されていき、足りない部分を競争的資金というもので賄わざるを得ないようになってしまいました。このために社会に役に立つと思える分野ばかりが有利に資金を得るといった傾向が強くなり、すぐには役立たないと思える分野の資金難は強まっています。
さらに、研究者間の競争が激化することで後継者や若手育成といった面に力を注ぐことが困難になってきています。
このような状況ですが、だからこそ科学者が社会に対し自分の研究を説明すると言うことが不可欠であり、その努力を惜しむべきではないというのが著者の意見です。

社会的責任を考える上では、科学が軍事技術化してきたという背景があります。さまざまな兵器の開発に寄与してきた科学もあり、核兵器に手を貸してしまった科学者の中にはその後反対運動を起こした人も居ます。
一方、愛国心を名目に軍事開発にさらに加わっていった人も居たと言うことです。
現代でも見た目は軍事開発とは直接結びついていないように思える分野でも結果として軍事に使えるものは数多く、さらに国家予算からの研究費支出の割合が高まるにつれ軍事化の可能性も強くなってしまっています。これを拒否すれば研究費が来ないと言う事態にもなるために苦しい立場に立たされることにもなりかねません。

現在の大学などでは、昔のように研究に打ち込む先生や先輩を見て研究への姿勢を学ぶと言うことが難しくなっているそうです。論文作成や資金獲得に追われまともに研究をじっくりと行うことが難しくなり、大学院生にも論文作成を無理強いするばかりの状況も出てきています。その中で、科学倫理というものを教えていく必要性は高まるばかりですが、日本にはそれをまともに扱っている学者がほとんど居ないようです。
科学倫理に対する科学者の状況というものは非常に厳しいものがあるようです。