科学や技術研究の財源について「選択と集中」ということが言われ、「役に立つ」研究にのみ金を出そうという傾向が強まり、多くの研究者が危機感を募らせています。
理化学研究所の初田さんはこういったテーマについて「役に立たない科学が役に立つ」という書籍を監訳し出版したということで、以前から深い関心を持っていました。
そこで、ナビゲーターを務めた柴藤さんと共に、さらに対談者として生物学者でノーベル賞受賞者でもある大隅さん、科学史研究者の隠岐さんを招き、2020年8月にオンライン座談会を開催しました。
本書はその当日の様子をまとめたものとなっています。
イベント第1部では、御三方がそれぞれ「基礎研究の現状とこれから」というテーマで話題提供、第2部では「選択と集中」の現状、研究のアウトリーチ活動、そして基礎研究の在り方と言った問題に参加者のコメントを交えながら対談。
そして第3部では対談後に捕捉すべき内容をそれぞれ一文としています。
初田さんは理論物理学、大隅さんは生命科学、そして隠岐さんは科学史と専門が違うためにやはりこの問題に対する姿勢や危機感も若干違いはあるようです。
理論物理学ではほとんどが基礎科学なのですが、それがある瞬間からとたんに「役に立つ」ことになるかもしれません。
生命科学では実験は常にしていくものの、何でも「医学」に結び付けて役に立つ立たないと言われがちです。
科学史上では役に立つ・立たない、すなわち科学の有用性はそのスポンサーであった王侯貴族を説得する材料で、「役に立つ」というのはきわめて政治的な言葉だったということです。
「選択と集中」と言われて予算の分捕り合戦が激化したのですが、それが行き過ぎて外れた場合は存続もできないと言ったことになっています。
最低限、ベーシックな研究予算は確保したうえでそれ以上は選択というならまだしも、今はそれも危うい状況です。
ただし、研究者にも自分の研究をきちんと外部に説明する努力はどんな場合でも必要です。
そういった面はこれからの基礎研究にもつきまとうものであり、避けられないものかもしれません。
なお、自然科学の面だけでなく人文社会科学の研究者のことも考える必要がありますが、こういった領域では「役に立つ」研究ほど「危ない」ということはありそうです。
政治的に利用される危険性が非常に強く、金が流れ込むようになれば国家戦略となるかもしれません。
科学者にとっての4つの「常識」というものが紹介されています。
1.科学の発展は循環的である。
2.基礎研究は波及効果が大きい。
3.基礎研究には長期的視点が必要である。
4.基礎研究は多様性が本質的である。
アメリカのプリンストン高等研究所の創設者エイブラハム・フレクスナーは1939年に「役に立たない知識の有用性」という一文を書いており、その意識が非常に強かったようです。
それは研究室で行われているすべてのことがいずれ思いがけない形で実用化されるということを意味しているわけではありません。
そうではなく「有用性」という言葉を捨てて人間の精神を解放せよと主張しているのだということです。
大学や公的研究機関の研究者には国からの資金が出ているということで自己の研究の「説明責任」があると言われています。
しかしこのために「説明しやすい目標設定」がはびこり、さらに「目標設定が低くなる」という弊害が生まれるという悪循環に陥りました。
達成しがたい高い目標を立ててしまえば、目標に到達できなかった場合に「お咎め」をくらうことになります。
そのために「達成できそうな低い目標」を、一見高い目標のように見せるのが手腕だという、本末転倒の状況になっています。
企業や個人からの研究費寄付というものも期待されているようです。
これも紐付きになれば逆効果でしょうが、どれだけ集まるものでしょうか。
そもそも研究費への支出が少なすぎる国の姿勢というものが大問題なのですが、その方向の議論は含まれていませんでした。