適正技術とはあまり聞いたことのない言葉でしたが、1960年代から1980年代にかけて盛んに議論されてきたようです。
資本主義と近代科学技術により社会は発展したと考えられていましたが、一方それによるひずみというものが随所に出てきていると考えられ、それらを防ぐための技術と言うものはコントロールしやすく省エネルギーで環境負荷も少ないものとされてきました。
その後、さらに加速された科学技術のために一時は忘れられたかのようでしたが、環境悪化、資源供給の不安などの先行きへの疑問が出て、さらに東日本大震災と原発事故が起こった事態を迎えそのような技術を使っていく代替社会というものの必要性が増したと考えられます。
著者の田中さんははじめは石油関係の企業に勤めたもののその後途上国の技術支援活動に転進したと言う方で、インドネシアなどでさまざまな技術の開発経験を持っておられるようです。そのような現地に即した技術と言うのは先端技術とは大きく異なりますが、今後の脱エネルギー社会ではかえってそのような技術しか生き残れないのではないかと言う見通しを述べています。
本書は4章の構成になっており、著者のあとがきにも明らかなように第4章がもっとも主要な主張部分ですが、これも記されているようにその第4章を主とした論文を発表しようとした際にいろいろと助言を受けて、著者のインドネシアでの現場体験を強く打ち出した方が説得力が強まるだろうということで、第2,3章を拡充して一冊の本としたということです。
しかし、その点はどうでしょうか。第3章までのほぼ3/4の部分を読むのに疲れてしまい、本当に伝えたい第4章にたどり着く人が少なくなってしまわないでしょうか。
技術紹介の文章は慣れている人であれば何気なく読める部分でも、不慣れな人には状況を想像するだけでも疲労するという面があるのではないかと思います。
そんなわけで、第4章について集中して評したいと思います。
”代替社会に向けて”と題された第4章は、環境悪化によるか資源供給によるかに関わらず、今後近い将来に訪れるエネルギー供給が制限された社会をどう生きるかと言うことを述べたものです。
著者は化石燃料というものが数億年かけて作られた貴重な恩恵というべきものであり、現在までの先進国といった条件で早い者勝ちで使い果たして良いといったものではないということをかつて主張したそうです。これは正にその通りの正論ですが、他にあまり主張している人を見たことがありません。
その中で、「化石燃料消費の世界標準」というものを作るべきだとしています。
環境基準の消費世界標準というものを試算すると、それは1年間一人当たりで766万kcalということです。これは2010年の日本の実値の3274万Kcalと比べてはるかに低い値です。インドネシアではそれを下回る568万Kcalに過ぎません。
なお、この値にこれまでの消費してきたカロリーをハンディキャップとして考慮した数値にすると日本はわずか220万Kcal/人・年しか使えないということです。
これだけの化石燃料で暮らせと言われてもほとんど不可能ですので、できるだけ早く再生エネルギーによる社会に移行すべきですが、導入可能量を足してみてもせいぜい1310万Kcalだということで、現在の使用量の1/3にしかなりません。
こういった状況になると経済成長を求める現在の体制の存続は不可能ですので、そこからの脱却は避けられないようです。
そのような社会に必要なのが先に述べた「適正技術」ということです。2章で紹介されたようなインドネシアでの排水処理設備は近代科学技術によるものの1/10のエネルギー消費で動きますが、そのような技術を集めていけばなんとか可能なのではないかという主張です。
非常に面白い着眼からの主張で、見るべきものが多いと感じましたが再生エネルギーに関するものは見方がこれでも甘すぎるのではないかと感じます。しかし、生き延びる道はそこにしかないかとも思います。