爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「資本主義の終焉と歴史の危機」水野和夫著

水野さんの本はこれまでにも読んだことがあり、その内容には驚くとともに非常に共感を覚えたものでした。
本書はかなり最近のものであり、もはやアベノミクスがかなり威力を発揮していた2014年3月のものです。もちろん、アベノミクスに何の価値も見出してはおらず、かえって「資本主義の崩壊を早める」と断罪しています。
新書版のわずか200ページほどの本なのですが、非常に内容が濃く、読書をするときは読みながら付箋をつけていくのですが、その付箋が10枚以上になってしまいました。書いてあることの一つ一つに思い当たることがあり、これは覚えておかねばと感じてしまいます。

第一章 資本主義の延命策でかえって苦しむアメリカ IT革命や金融工学などといった手法で経済の覇権も取り返したようなアメリカですが、これも一時的な悪あがきに過ぎないというのが著者の指摘です。超低金利が続くというのが現在の先進各国の状況ですが、実はそのような低利子の状態というのは16世紀後半以降のイタリア、とくにジェノヴァにそのよな現象が見られました。利子率=利潤率というものが2%より低いということは実際は資本家が得られるものはほとんどないということであり、そのような資本主義というものは機能していないということです。
さらに、「交易条件」というものを考えることを主張します。つまり、輸出品1単位で輸入品が何単位買えるかということですが、2000年を100としたとき、1970年頃までは120以上で推移したものがオイルショックで一気に100にまで下落、その後少し持ち直したものの2000年以降は続落し2010年からは80を割っているようです。昔の「加工貿易国」の考えというものを子供のころから聞かされたものですが「安く買って高く売る」ことで日本は食べて行っているといわれたものでした。それがまったく状況変化しているということが歴然としています。
アメリカはその中で、ITと金融自由化で「電子・金融空間」とも呼べるものを作り出し、世界中の富をかき集めようとしています。それは新自由主義とも結びつき、格差を拡大し国内でも貧困層を増大させ海外にも貧困を広げています。またその繁栄もバブルというもので、3年に一度は崩壊するようです。

第二章 新興国の近代化がもたらすパラドックス 新興国の高成長が目を引きますが、これも実は行き場のなくなった余剰資金が集中して起こしているものであり、新興国においては過剰設備への投資となりいずれはバブル崩壊する運命になるようです。これも16世紀の状況がそのまま繰り返す可能性があり、いろいろなものの価格体系が変化する価格革命というものになるということです。その時は中世末期のペスト流行で人口が減っていたために労働者としては賃金が上昇するという利点もあったものが、価格革命で賃金は停滞し食料などは高騰しました。これが再現するのでは大変です。
21世紀の「価格革命」というものは次のようなものになるというのが著者の見解です。すなわち、過剰なマネーが新興国の過剰設備を生み出し、デフレ圧力をかける一方、資源は供給力に限りがあり需給ひっ迫して高騰する。グローバル化というものが資本への国家の従属というものをもたらし、民主主義が形骸化するということです。
16世紀からの近代では現在の「先進国」の国民は豊かになりました。それは全世界人口の約20%に当たります。しかし残りの80%の新興国ではほとんど成長もなく貧困のままでした。現在の新興国の成長というものは、かつての先進国の時のように全国民をレベルアップさせるというものではなくなっており、ごく一部の富裕層のみが豊かになるものになっています。これは先進国の格差激化と同じ動きになります。これは新興国の社会の不安定さにもつながります。

第三章 日本の未来をつくる脱成長モデル このように、単にアメリカから覇権が中国に移るということは起こらないでしょう。資本主義を延命させる空間というものがもはや残っていないからです。しかし、実は資本主義の限界に一番早く突き当っていたのは日本であり、その意味では成長というものの呪縛から逃れる可能性が強かったのも日本であったということです。
しかし、そのまったく逆方向のアベノミクスという政策に踏み込んでしまった。これは全く無意味であるばかりでなく、労働者の賃金が削られるという方向に行くのは不可避であり経済の傷がさらに広がるばかりのようです。
いまだに「成長がすべての怪我をいやす」という思い込みからの政策決定をしていると、資本が前進しその結果雇用を犠牲にするということになります。このまま過去の成長イデオロギーにすがっていると、日本の中間層は没落するばかりです。

第四章 西欧の終焉 欧州危機と言われていますが、現在のEUというものはドイツが主導する「新中世主義」であり国民国家を守ろうとする動きでした。しかし、EUといえど資本の論理には逆らえず、ドイツの社会学者ベックのいうように「富者と銀行には国家社会主義で臨み、中間層と貧者には新自由主義で臨む」ということになってしまい、結局は格差拡大につながります。
それでもドイツは欧州統一をやめないだろうということです。

第五章 資本主義はいかにして終わるのか。 資本主義はもはや終焉の一歩手前であることは明白です。資本主義はその誕生以来、少数の人間が利益を独占するシステムでした。ヨーロッパの国々が富を独占していた19世紀から20世紀にかけては地球の全人口の15%にあたるヨーロッパ人が豊かな生活を享受していました。このように、資本主義というものは世界のすべてを豊かにできる仕組みではないということです。
現在進行中のグローバリゼーションというものは、実は全世界を豊かにすることなどはできず、世界各国の上位せいぜい15%を豊かにするだけだということです。昔は先進国はその国民のほとんどを豊かにした(それは新興国の富をすべて奪ったから)のですが、これからは先進国も各国国内に85%の貧者を作り出すのです。

資本主義が持つ固有の矛盾というものがあり、それは資本主義の定義自体にあります。資本主義は資本が自己増殖するプロセスということであり、その目標や到達地点というものは無いということになります。つまり無限の世界がなければならないということです。しかし、実際は地球は有限でありしかも限界は近づいています。空間的に成長ができなくなった現在では、実は「電子・金融空間」では「未来からの収奪」を行っています。国債を使っての財政出動というのも将来の需要を過剰に先取りしているということで、未来からの収奪にほかなりません。

このような資本主義の末路では、ハードランディングシナリオというものが考えられます。それは中国バブルの崩壊です。中国では世界の工場となるにあたって過剰な設備投資が行われていますが、中間層の増加が起こらないために内需の増加もほとんど発生しません。そのため多くの設備は過剰となる運命でありやがて投資の回収不能となってバブル崩壊というシナリオです。中国がそうなった場合は保有するアメリカ国債を手放すという行動にもなり兼ねず、そうなればドルの終焉も招くかもしれません。そうすればすべての国でデフレ化し国家債務で破たんするでしょう。

ソフトランディングのためには、「定常状態」の社会に早く到達することです。定常状態とはゼロ成長社会です。ゼロ成長というとお先真っ暗というイメージが強いようですが、実は生き残ろうとしたらそれしかないということです。そして、ゼロ成長すらも維持するということは実は困難なのかもしれないのです。
この資本主義終焉の先はどうなるかは、著者にもわからないそうです。

私が前々から考えていたことの多くをすっきりと説明してくれた本でした。ただし、さすがに経済専門の著者だけにエネルギー依存の科学技術文明である現代文明の問題点というものには、あまり触れられていませんでした。資源供給の限界というところからその危険性が考えられているのですが、実はその性格そのものにも問題点があるのではないかと思っています。
いずれにせよ、非常に参考となる内容だったと思います。