爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「蝦夷の古代史」工藤雅樹著

岩手県生れで東北地方の考古学、歴史学の専門家の工藤先生が蝦夷(えみし。えぞ)について古代から平安時代までの解説をされているもので、一般にはあまり知られていない細かいところまで記されているようです。

蝦夷は”えみし”とも”えぞ”とも読まれますが、エミシとは元々は大和朝廷から見て東国の人々を指した呼称のようで、必ずしも異民族という概念のものばかりではなかったようです。
エミシは毛人とも表され、関東までの広い範囲に住む支配下以外の民ということだったようです。
しかし、奈良から平安時代になり朝廷の直接支配する範囲が広がり東北地方南部まで及ぶようになるとその書き方も「蝦夷」となりました。その中味も現在のアイヌ民族に近い人から、大和民族が移住したものまであったようです。
その過程での阿倍比羅夫坂上田村麻呂源頼義、義朝などの活躍というところはいくらかは知識がありますが、その周辺には様々なドラマがあったようです。

蝦夷が現在のアイヌ人の先祖なのか、日本人なのか、いろいろと論争もあったようです。それを考えると青森の三内丸山遺跡を作ったのはどのような人々だったのかということにも関係してくるかも知れません。
どうやら、当時の縄文人の子孫はアイヌ民族にもなり、また相当数が日本人としての範囲の中にも入ってきたようです。その辺の事情は二つにきっちりと分けて考えられるようなものではないようです。

大和朝廷の時代から攻めて捕虜としたり降伏したエミシの人々を当時の支配下の全国各地に分散して移住させたということもされていたようです。また、戦闘力が非常に強かったために九州の防御のための防人としても送られたようです。その結果としてますます混合が進んだのかも知れません。

蝦夷というのは東北や北海道の歴史と深く関わっていますが、日本という国全体を考える意味でも大きな影響があったようです。