文芸春秋の記者から編集者、取締役などを経て作家となった半藤さんですが、戦後いろいろな大戦時の軍人にインタビューをしたようです。
太平洋戦争時のエピソードというのはよほど興味のある人以外ではそれほど知られていないと思いますが、断片的な知識は少しはあるかもしれません。
まあほとんどは失敗だらけですが、なかにはすばらしい指揮官のもと大成果を上げたということもあったようです。そういう指揮官というのはほとんどが出世コースから外れた成績不良の人だというのも意外なようで当然かもしれません。
太平洋戦争に向かう過程でこのようなおかしな指揮官ばかりができてしまったというのは、半藤さんの意見では日露戦争でまぐれ勝ちしたのを実力のように勘違いしたのが大きいのではということです。
一般の歴史では日本海海戦で東郷平八郎がロシア艦隊は対馬を通るという見通しで動いて成功したということになっていますが、実際は東郷は太平洋から津軽海峡に向かうと思っていたのが実際だそうです。本当はその部下の参謀が対馬説を主張して東郷を動かしたようです。
しかし、その後陸海軍双方とも「参謀」というものが力を持ちすぎてしまうというおかしな形態になってしまいました。参謀はスタッフで司令官が全責任をもって指示をするというのが本来の姿ですが、参謀が指示したとおりに動くといういびつな形になってしまい、結局全員無責任体制になったということです。
アメリカはその一方、司令官も適材適所で飛び越え人事もあり、また全責任をもって指示を出すという司令官本来の職務を果たしたということが見られたようです。
読んでいると情けなくなるばかりの話ですが、その程度が日本軍の実情だったのでしょう。そして、それは現在の日本の企業や政府などすべての組織に見られることでもあります。