爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「鬼平犯科帳(十三)」池波正太郎著

ちょっと趣向を変えた場所や状況でマンネリ打破?

 

「熱海みやげの宝物」平蔵はしばらくぶりの休み、妻久栄と彦十、おまさなどを連れて熱海に湯治に来ています。

もう一月にもなり、皆そろそろ湯治にも飽きが来ていて、そろそろ江戸にもどろうかと思い始めていた頃に彦十が昔馴染みと出会ってしまいます。

それが馬蕗の利平治という、高窓の久兵衛のところで嘗め役をしていた者ですが、利平治には連れがおり、横川の庄八という盗賊でした。

利平治の味方のような顔をして実際は久兵衛亡き後に一味を乗っ取った高橋九十郎の配下となった庄八が、利平治が盗みの相手を調べ上げた嘗め帳というものを奪い取ろうとしたのでした。

彦十から頼まれた平蔵は庄八など久十郎一味をお縄にし、嘗め帳を差し出させる代わりに利平治を見逃します。

 

「殺しの波紋」火盗改の与力、富田達五郎は路上での喧嘩で旗本の息子を切り殺してしまいますが、それを目撃した盗賊にそれを種にゆすられ、盗みに加担させられます。

その盗賊、橋本屋助蔵を達五郎は川の上の舟で切り殺しますが、それをまた目撃されていました。

 

「夜針の音松」火盗改の同心、松永弥四郎は妻を路上で襲うことに快感を覚えるという困った性癖があったのですが、その現場を平蔵の息子辰蔵に目撃され取り押さえられます。

そこから話が広がり、昔廓で相手をした女が尼姿になっているのに出くわしそれをつけていくとなんと探索の相手の夜針の音松が女と一緒にいるところに出くわす、そういった偶然が重なる話です。

 

「墨つぼの孫八」火盗改の密偵おまさが町を歩いていると声を掛けられますが、それが昔一度盗みで一緒だった墨つぼの孫八でした。

密偵であることを感づかれていないと見たおまさは、今は亭主の大滝の五郎蔵と二人で盗みをしていると語ります。

孫八はいつ死んでもかまわないといった風で盗みを重ねていたのですが、今会うと何やら未練たっぷりのようです。実は子供ができてしまい、それに残す金を作りたいと最後の勝負に出ようというのでした。

昔の配下の裏切りなどもあるものの、なんとか盗み決行となった時に死んでも死ななかったような孫八が最後に脳卒中で倒れるのでした。

 

「春雪」市中見回りの途中で平蔵は同じ先手組の旗本宮口伊織が掏摸に財布を盗まれるところに出くわし、その掏摸を捕らえます。

その財布の中には商家の詳しい図面が入っていました。

宮口は放蕩が激しく家産を傾けたため、富裕な商家から嫁を迎えて借金を返していました。

しかし平蔵はその掏摸に自分の身分を明かさず、すり取った相手が長谷川平蔵であり、自分はその配下の火盗改だと嘘をつきますが、それが最後に思わぬ展開をもたらします。

宮口は金に困り妻の実家の図面を盗賊に売ったのでした。

 

「一本眉」火盗改同心木村忠吾は見回りの後に旨くて安い居酒屋にたびたび通うようになりますが、そこで出会う町人が左右の眉がつながり一本に見えるという異相の男でした。

話が合い、双方が身分も知らぬまま気に入ってその店限りの付き合いをするようになります。

実はその一本眉の男は関西や名古屋で盗みを重ねる清州の甚五郎という本格派盗賊の首領で、その居酒屋の若い者たちもその配下でした。

彼らは茶問屋亀屋に狙いをつけ、数日後に押し込みを決行する手はずを整えました。

しかし何とその夜に亀屋は畜生働きの兇賊に襲われ、一家奉公人皆殺しの上で金を奪われたでした。

甚五郎一味の女おみちは亀屋に奉公人として入り込んでいたのですが、危ういところで屋根の上に逃れて一人だけ生き残ります。

それが聞いていたのが、「引き込みは按摩の茂の市」という盗賊たちの会話で、それを知らされた甚五郎はそこから調べ上げ倉橋の佐喜蔵一味がその盗みを実行したことを突き止めます。

そのような残虐な盗みを許せない甚五郎は倉橋一味の盗人宿を襲撃し、ほとんどを殺害、女と小者だけを残してその顛末を記した文を火付け盗賊改め方役宅に投げ込み関西に去っていきました。

甚五郎は江戸を離れるその前に、お気に入りの浪人さん、木村忠吾にお別れの小遣いを渡したのでした。

 

火盗改めが主人公ではない話もあるという、少しひねったものでした。

 

 

「ロシアのなかのソ連」馬場朝子著

本書著者の馬場朝子さんは1970年から当時のソ連のモスクワ国立大学に留学、6年間滞在した後はNHKなどでディレクターとしてロシア関係の番組制作などに携わってきたそうです。

馬場さんにとってロシアのウクライナ侵攻は非常な驚きでもあり、またロシア・ウクライナ双方に多くの友人知人がいることから心を痛めることでした。

 

ただし日本を始め西側諸国のロシア報道はロシア人の感性や思考法などをまったく考慮しないままのものが多く、このままではますます誤解が増してしまうと考えて、ロシア人の考え方、生活などを紹介しようということです。

 

ロシアはヨーロッパ社会と共通のように見せ、振る舞っているようですが、その奥にはアジア的な要素をかなり強く持っています。

また国内だけで時差が10時間もあるというほどの大国でありかつての社会主義国時代にはアメリカと対峙する一方の旗手であったという意識も強くあります。

さらに、社会主義体制で70年間も過ごしており、現在の50歳代以上の人たちは生まれてから成長するまでの時代を社会主義体制内で暮らしており、その間の意識というものは簡単には抜けないものです。

そして社会主義体制崩壊からの混乱は激しいものでそれがロシア人の意識形成を大きくゆがめました。

いまだにその当時の悪夢が強く、「民主主義」という言葉はその混乱をもたらした元凶だという思いを持つ人が多数です。

その頃に馬場さんが見た光景で忘れられないのが、極寒の中で道路わきに若い女性たちがミニスカート姿で立ち、車が通るとコートの前を開けて体を見せつけて売春を誘っていたものだそうです。

 

ロシア人は国土を攻撃されるということに非常に敏感です。

モンゴルのチンギス・ハン、フランスのナポレオン、そしてドイツのヒトラーに攻められ多くの死者を出しました。

特に第二次世界大戦では2700万人という多数が死亡しました。

それで戦勝国となりわずかな国土を獲得しました。

ロシアではその戦争のことを「大祖国戦争」と呼び、いまだにその功労者たちを顕彰し、犠牲者を悼むといった式典が大規模に行われています。

このような意識の国民にとって、NATOが徐々に拡大しロシア国境まで迫ってきたという状況は恐怖感を感じさせるものだったのでしょう。

 

クリミアやウクライナ東南部諸州の併合についても西側諸国からは厳しく批判されています。

しかしソ連時代のロシアとウクライナの関係というのはほとんど国内の他県といった程度のもので、クリミアなどもそれほど深い意識のないままウクライナ領としたのは1954年になってのことでした。

ロシア人も多い地域であり、それを強制的にウクライナに組み込まれたと感じる人もいるようです。

 

ウクライナ侵攻後、馬場さんはロシア・ウクライナに住む多くの知人と連絡を取り合ってその思いを聞いていますが、やはり戦争は怖いと思うのは双方いずれでも同様です。

しかしウクライナの人々はこれでロシアに対しては大きな反感を形成してしまったのは間違いないようです。

 

ロシアの人々の考え方や生活といったものについて、あまり知らなかったということを改めて突き付けられました。

 

 

「さらば、男性政治」三浦まり著

ジェンダーの平等というものが日本ではかなり悪い状況で、世界的に見ても下位であるということは知られていることでしょう。

日本社会の至る所でそれが見られますが、特にひどいのが政界です。

女性議員の比率は世界的にも驚くほどの低さとなっています。

これにはいろいろな理由が考えられますが、中でももっとも大きいのが「政治は男のもの」という意識なのでしょう。

それが当の議員たちの頭も支配しているために世界からの要請があっても変えなければならないということになりません。

ということで、政治学者の三浦さんがその状況の分析と解説、さらにどうするべきかまで記し、「さらば、男性政治」と言っています。

 

ダボス会議で知られる世界経済フォーラムが2005年から公表している、ジェンダーギャップ指数という指標があります。

男女の格差を指標化しているということですが、その中で日本の順位は下がり続けています。

2020年版ではなんと世界153か国中121位ということになっています。

そしてその中でも大きく影響しているのが、政治と経済の分野での男女格差です。

 

議員の数であるとか、会社重役の数といった数字だけでなく、給料の額などの実質的な中身でも男女差が大きいことも特徴的です。

これには正規雇用と非正規雇用の待遇の格差が大きいことが左右し、現状では非正規雇用は女性が多いためにそういった数字が出てしまいます。

 

このような状況を改善していくには政治の力で法制化することが最も強く働くのですが、それをしようともしないのが男性社会そのものである政治の世界です。

そこから変えていかなければ社会全体も動きません。

それが端的に見えるのが選択的夫婦別姓制度などの制度改正を行うことに強く反対している勢力があることです。

保守派の中でも特に宗教右派という勢力がこれに特に反対しています。

この勢力が現状の政界でかなり大きな勢力となっていることが、女性の進出を推進するような法整備に反対することにつながっています。

 

ユニセフの調査によれば、日本は育児休業制度の充実度は41か国中1位なのですが、保育園の利用率は31位、保育の質は22位、保育料の額では26位です。

これは育児休業制度が少子化対策として整備されてきたためであり、ジェンダーギャップ解消という意味がなかったからでした。

しかも、育休取得率は女性ではかなり高いと言われていますが、そもそも雇用保険に入り出産後も雇用を継続する女性を母数としているためであり、実態では母親の3割弱しか育休を取得できていません。

 

日本の政治家がなぜ男性ばかりなのか。

そこには日本の選挙の様態が関わっています。

選挙民が候補者を選ぶのに、「地元にどれだけ貢献するか」が最大の要因となっています。

それを計る指標が「どれだけ顔を出すか」、地元の集会、祭り、入学式、卒業式、葬式などに顔を出すかどうかで地元への貢献度を計ります。

「うちの集まりに顔を出さないなら選挙支援しない」と公言する選挙民が多数です。

そして、それをするためには家庭でのケア(育児・家事他)に時間を取られる女性は極めて不利になるわけです。

つまり、そういったケアに全く時間を使わない男性しか政治家として当選できないわけです。

それがないのが参議院比例区などの議員であり、そこにはある程度の女性議員がいることがそれを示しています。

 

ジェンダー平等を政治の世界で進めるということは、多様性を広げるということです。

実は現状では男性の中でもごく限られた一団の男性だけが政治家となっており、とても多様性の低い集団です。

そのような議員から出る発想というのは限られたものでしかありません。

女性を数多く政治家とできるような社会であれば、男性もこれまで政治から距離を置いていた人が政治家となれるかもしれません。

男性政治というものから脱却するということは多くの人が納得できる政治に変わるということかもしれません。

 

 

 

「眠りがもたらす奇怪な出来事」ガイ・レシュジナー著

睡眠について悩みを持っている人はかなりの数になるかもしれません。

しかし、多少の不眠などはこの本の睡眠障害の実例を見ていくと些細な出来事のように思えてしまいます。

 

著者のガイ・レシュジナーさんはイギリスの神経科学者で、臨床医でもあります。

睡眠で悩む多くの患者さんを診察してきました。

その例を挙げ、睡眠というものがどういった脳や神経の作用から影響されているかを示していきます。

 

扱われている例を病名で示すと、睡眠相後退症候群、ノンレム睡眠時随伴症、睡眠時無呼吸、情動脱力発作、睡眠関連摂食障害、クライン・レビン症候群、等々です。

激しいものでは通常の生活を送ることができず、仕事も辞めざるを得ないという人がいます。

 

夢遊病という言葉はよく聞きますが、70代の女性は歩くだけではなくバイクを運転するというものでした。

深く眠っている時に支度をしバイクの鍵を持って出て数十キロを運転し、帰ってきてまたベッドに入り、起きた時には運転したことを全く覚えていないというものでした。

幼児が眠っている時に叫んだりする夜驚症というものは多くの子どもに見られるのですが、大きくなるとそれは消滅します。

しかしごく一部に大人になっても治らず無意識のまま歩き回るということがあるようです。

 

バスの運転手をしているロバートという男性は年を取ってから結婚したリンダという妻がいました。

妻から、眠っている間にひどい寝言を言っていると言われたロバートは著者の診療所を受診しました。

色々と診察をしたのですが、ロバートには異常が全く見られませんでした。

仕方なく、ロバートは自分で音声作動式のレコーダーを買って枕元に置いて寝たそうです。

すると、深夜にロバートではなくリンダが叫ぶ声が録音されていました。

ロバートには異常はなく、リンダに幻想や妄想によって叫びだすという障害があったということです。

 

私も早く目覚めてしまい、その代わりに昼頃に眠くなるという毎日ですが、そのようなものは全く些細なものと感じられるような壮絶な睡眠障害の話でした。

 

 

「鬼平犯科帳(十二)」池波正太郎著

火付け盗賊改め方を目の敵とする盗賊たちは与力同心たちも付け狙います。

当時非常に殉職の例が多かったそうです。

 

「いろおとこ」火盗改同心の寺田金三郎は、兄の又太郎が同心在職中に兇賊の襲撃を受け殺されたために家督を継いで同心となりました。しかし兄を殺した賊を何とか見つけ出し捕らえようとしますが逆に襲われてしまいます。

「高杉道場・三羽烏」若い頃にぐれていた平蔵ですが剣術の稽古だけは怠らず、高杉道場では最も腕が立つと言われていました。その頃に同じほどの腕前だったのがその後火盗改の手伝いもするようになる岸井左馬之助ですが、もう一人長沼又兵衛というものがいました。

しかし密偵の小房の粂八の営む料理屋にやってきた二人連れの客の話を盗み聞いた粂八はその盗賊らしい二人の会話の中で長沼又兵衛の名を聞き、それが盗賊の首領となっているらしいことも耳にします。

その盗賊一味が狙っているのが巣鴨の徳善寺という、金貸しでも稼いでいる寺らしいことを知った平蔵は身分を隠して寺内の小屋に過ごし、盗賊の打ち込みを防ぎます。

「見張りの見張り」密偵舟形の宗平は町でたまたま昔の盗賊仲間長久保の佐助と出会います。佐助は盗みではなく息子の仇を打ちに来たと話し宗平の助けを借りたいと求めます。その相手が杉谷の虎吉という盗人で、かつて大滝の五郎蔵の配下だった者でした。

五郎蔵は平蔵に報告することもなく虎吉を探りに行きますがそれを察した平蔵は密偵たちに五郎蔵や宗平を見張るように命じます。

結局は佐助に虎吉が息子の仇だと語った橋本の万造という者が息子を殺したのでした。

密偵たちの宴」火盗改の密偵として働いている、五郎蔵、粂八、宗平、伊三次、彦十とおまさといった面々はそれぞれかつては盗賊として多くの盗みをしてきたのでした。

それが火盗改に捕まり取り調べの中で平蔵の人間性に触れ回心しその密偵として働くようになったのですが、それでも盗みの快感は忘れられないようです。

押し入ったところの人々を皆殺しにするような畜生働きという兇賊がはびこる中、「盗みの手本」を見せてやりたいと思うようになります。

その目標は金貸しで有名な町医者竹村玄洞、しかしそこを探っている内にその医者の宅に女中として入り込んでいたのが盗賊の引き込みだということに気づき、なんとかその畜生働きは食い止めなければと平蔵に報告します。

「二つの顔」岸井左馬之助が病気をしたと聞いた平蔵がその見舞いに岸井の家を訪れた帰り道、歩いていた平蔵にある老人が声を掛けます。それは素人娘の売春を持ち掛ける「阿呆烏」というもので、その誘いを受けた平蔵は娘に会い話を聞きます。

しかしその場所となった料理屋の亭主は実は盗賊で、平蔵の顔も知っていた男でした。

下手に足がつくことを嫌った盗賊は阿呆烏の与平を殺害、娘おみよも殺そうとします。

それを察した平蔵はおみよを隠し、盗賊一味を暴きます。

「白蝮」平蔵の息子辰蔵は若い頃の平蔵同様に岡場所が大好き、金の続く限り通っています。辰蔵は他の男は目もくれないような変わった女が好みで、またも色も黒く顔は不細工、ただし肌だけはもち肌というお照という妓が気に入り通い詰めています。

そのお照の話で、女でありながら岡場所に来てお照を指名する客がいることを聞き、その女を辰蔵は付けるのですが、白扇を顔に命中させられあえなく撤退します。

それを辰蔵は平蔵に告げるのですが、平蔵はその話である盗賊のことを思い出します。

その白扇は有名な京都の逸品でそれを売る店が盗賊に襲われ白扇も奪われたことを記憶していたのでした。

その女盗賊の名が津山薫、その名を聞いた火盗改同心沢田小平次は顔色を変えます。

探索をすすめようやく津山薫を発見、その盗人宿も判明し火盗改が打ちこみます。

津山は沢田小平次が切り殺しますが、やはりかつて沢田が修行した松尾道場に居た娘で当時は沢田もかなわなかったほどの剣の腕でした。

「二人女房」本所弥勒寺前の茶店「笹や」のお熊ばあさんが昔から可愛がっていた高木軍兵衛は堂々たる体格でありながら剣の技や腕力はまったくだめだったのに、味噌問屋佐倉の用心棒として雇われ、平蔵の力を借りながらも盗賊の侵入を防いだ話は「用心棒」で語られました。

その後軍兵衛はそれなりに剣の腕も磨くようになっていましたが、町で偶然かつて悪の道に入りかけていた頃の知り合い、加賀屋佐吉と出会います。

佐吉から金で人殺しを依頼されますがすぐにその件を平蔵に報告、密偵たちの助けを借ります。

佐吉が殺そうとした相手は盗賊の首領、実はその彦島の仙右衛門は妾と江戸に来ておりそれを妬んだ女房から殺害を依頼されたのでした。

 

平蔵の息子辰蔵の変な?活躍ぶりは面白い話の構成となっており、作者はかなりそれを意識して組み立てているのではと思わせます。

 

 

「はじめまして現代川柳」小池正博編著

川柳というものは江戸時代に生まれて大流行をしたのですが、現代でも作られています。

新聞には読者の作った川柳投稿のコーナーもありますし、保険会社が募集する「サラリーマン川柳」といったものもありました。

そういった流れのもとには専門家として作句している人たちもいるということがあるのでしょう。

そこでは、一般人が楽しむような「遊びとしての川柳」とは異なり、文芸性を志向するものが作られていたようです。

そういった現代川柳の作者35人の作品を収録しています。

 

なお、第1章、第2章には現代川柳を牽引してきた作者を、第3章には現代川柳の源流としての戦後川柳の作者を、そして第4章には次世代の活躍が期待される作者を収録したということです。

 

まあ、これまでほとんど知らなかった世界であり、作者のお名前もすべて初見です。

新たな経験となりました。

 

佐藤みさ子さんの作品として収録されているものにはかなり不思議な雰囲気のものがあります。

空席にくうせきさんがうずくまる

作者の目には「くうせきさん」が見えているのでしょうか。

きかんこんなんくいきのなかの「ん」

佐藤さんは宮城県在住ですので、東日本大震災とそれに続く原発事故のすぐそばでその事態に触れてきたのでしょう。

 

丸山進さんは1943年生まれ、53歳から川柳を始めたそうです。

父みたい言われて消える下心

これはかなり面白味を残し、文芸性というよりはサラ川風の雰囲気を持っているようです。

 

なかはられいこさんは1955年生まれ、川柳誌を創刊したり、句会を開催したりと広く活動されているようです。

次は2001年のアメリカの同時多発テロの後に作られたものです。

ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ

 

サラリーマン川柳などとは全く別の世界があるということが分かりました。

 

 

「ネットいじめの現在」原清治編著

学校でのいじめというものは、かつてのような身体的なものではなく、仲間外れにしたり無視したりといった精神的なものが主流となっています。

そしてそれにネットというものが深く関わってきているため、親や教師から見にくいものとなっているようです。

そういった「ネットいじめ」というものについて、本書編著者の佛教大学教授の原さんを中心に多くの研究者たちが調査研究を行い、その結果をまとめて一冊の本としたものです。

実際に大掛かりな児童生徒や親、教師たちへのアンケートやインタビューなども行われ、それを統計的にまとめているものもあり、そこから引き出されるものは数多くありそうです。

 

いじめ自体は小学校からあるのですが、やはりネットいじめとなると高校が最も多いようです。

そしてある調査ではその高校の「学力」と「ネットいじめ」の関連を見ています。

中学までは公立では学力差はない建前になっていますが、高校ではどこでも学力によって編成されています。

その偏差値とネットいじめの出現率が関係するかどうか、それを調べていました。

するとやはり、というかなんと言うか、高偏差値の進学校では比較的ネットいじめが少なく、低いほど多いという傾向が見られました。

ただし、その発生状況は複雑で、偏差値中位の学校では大きく差がありました。

地域によっては学力にかなり差がある生徒が集まる学校もあり、そういったところほどネットいじめの発生が目立つということもあるようです。

 

また特異的にその発生が少ないという学校もあり、そこにこの研究グループの人たちが見学して話を聞いたところ、やはり教員たちの意識として生徒の人権を大切にするということが重視されており、それが生徒にも理解されていることがいじめ発生を防いでいるということでした。

 

なお、この研究においては実際に児童生徒たちにアンケートなどをしているのですが、内容が内容でもあり、ストレートに「あなたはネットいじめをしたことがありますか」などと聞くわけにもいかず、その文面には相当な配慮がされているようです。

「ケータイを手放すと不安か」「レスは早い方か」「LINEはずしをするか」「既読無視をするか」といった、相手の警戒を高めないような質問を重ねて、ネットいじめの発生やその傾向を見ていくといった手法がとられています。

 

こういった問題に関して出版された一冊の本についても語られていますが、それが「りはめより100倍恐ろしい」というもので、木堂椎という方の書いた本です。

この「りはめ」というのは「いじ”り”」は「いじ”め”」よりという意味で、いわゆる「いじめ」より「いじり」というものの方が危険だということです。

ちょっとしたふざけと見られるような「いじり」ですが、それが大きく相手を傷つけることもあるのに、やった方がその自覚がほとんどないということでも問題でしょう。

 

ずっとスマホを触り続けなければいられないことを「ネット依存」と捉えられています。

これもまでも「ネット依存尺度」なるものが作られていますが、それは主に薬物依存やギャンブル依存を参考に作られたものでした。

これは現在の子どもたちのネット依存を見るには少し違うところがあります。

ゲーム依存や動画依存といったネット依存を見るようなものであり、主流であるSNSなどのコミュニケーション系の依存は別物です。

ネットに依存しているのではなく、その向こうにいる人間に依存するという、人間関係を考えていかなければならないということでしょう。

 

ネット社会というものが全く理解できない年寄りにとっては想像もできない社会となっているということだけは分かるような話でした。