爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「花見と桜 〈日本的なるもの〉再考」白幡洋三郎著

コロナ禍の間は自粛でしたが、ようやく花見が復活しました。

しかしこのような桜の下に多くの人が集まり飲食しながら楽しむという花見は日本独特ともいえる風習のようです。

 

著者の白幡さんは海外経験もあり、また来日した海外の研究者から話を聞いたりしても、海外では日本のような花見の習慣はないようです。

花を愛でるということは多いのですが、自宅に花を飾ったり、花の下を歩いたりすることはあっても花の下に集まって飲食ということはありません。

この日本特有の花見について、様々な考察をしていきます。

なお、著者の考える花見とは「群桜」「飲食」「群集」が揃ったものということです。

桜も1本だけでは物足りません。飲食をするということが重要です。さらに一つのグループはせいぜい数十人ですがそのグループが数多く集まることが花見の重要要素です。

 

戦前には国家主義軍国主義と桜というものが結び付けられ、散り際の潔さなどと言われたものですが、伝統的な花見の意味はそれとははるかに隔たったものでした。

 

幕末から明治にかけて多くの外国人が日本に来訪しますが、当時は江戸期以降の風習として非常に花見の宴が盛んだったにも関わらずほとんどの外国人が花見について書き残していません。

その中でただアメリカ人で旅行作家のシドモア女史のみが花見の風習を細かく記しています。

なお、このシドモア女史がアメリカのワシントンのポトマック河畔の桜の生みの親ともいえる存在で、当時のタフト大統領の夫人と親交があったために日本の桜の植え付けを進言したそうです。

 

世界で日本のような花見というものがあるかどうか、丹念に調べられています。

するとほぼ全世界的にこういった風習は見られないということです。

花を愛でることはあってもその下に座ることもほとんどありません。

ましてやグループで飲食するということもありません。

ただ一か所だけブラジルで見られるのですが、これも日系人だけのようです。

なお外国の人々でも絶対にそれを行わないということではないようです。

日本在住の外国人が日本人グループに入るだけでなく外国人だけで桜の下に集まって飲食するという例も頻繁に観察されており、彼らが絶対にそういったことはしないというわけではなさそうです。

 

ただし、「花を見る」ということだけに限定せず「野外でみんなで飲食する」と見れば韓国や中国ではその習慣がありそうです。

そして、日本でも沖縄だけは「桜の下」では花見をすることはないが、野外での宴というのがあるという意味では韓国に近いようです。

 

歴史的には日本では千年以上前から行われてきた花見ですが、実は江戸時代にその性質がかなり変化しています。

戦国時代以前にも佐々木道誉の花見など権力者のものはあったのですが、江戸期からは庶民が多数出かけるようになります。

上野が最初に桜の名所となったのは幕府が植えたのですが、その後飛鳥山向島、御殿山といった桜の名所が作られたのにも幕府が関与していたようです。

上野は音曲禁止だが他では許されたと言われていますが、上野でも盛んに音曲が演奏されたこともあったようです。

 

世界でも珍しい風習の花見、まあ楽しんでいきたいものです。