本書著者の馬場朝子さんは1970年から当時のソ連のモスクワ国立大学に留学、6年間滞在した後はNHKなどでディレクターとしてロシア関係の番組制作などに携わってきたそうです。
馬場さんにとってロシアのウクライナ侵攻は非常な驚きでもあり、またロシア・ウクライナ双方に多くの友人知人がいることから心を痛めることでした。
ただし日本を始め西側諸国のロシア報道はロシア人の感性や思考法などをまったく考慮しないままのものが多く、このままではますます誤解が増してしまうと考えて、ロシア人の考え方、生活などを紹介しようということです。
ロシアはヨーロッパ社会と共通のように見せ、振る舞っているようですが、その奥にはアジア的な要素をかなり強く持っています。
また国内だけで時差が10時間もあるというほどの大国でありかつての社会主義国時代にはアメリカと対峙する一方の旗手であったという意識も強くあります。
さらに、社会主義体制で70年間も過ごしており、現在の50歳代以上の人たちは生まれてから成長するまでの時代を社会主義体制内で暮らしており、その間の意識というものは簡単には抜けないものです。
そして社会主義体制崩壊からの混乱は激しいものでそれがロシア人の意識形成を大きくゆがめました。
いまだにその当時の悪夢が強く、「民主主義」という言葉はその混乱をもたらした元凶だという思いを持つ人が多数です。
その頃に馬場さんが見た光景で忘れられないのが、極寒の中で道路わきに若い女性たちがミニスカート姿で立ち、車が通るとコートの前を開けて体を見せつけて売春を誘っていたものだそうです。
ロシア人は国土を攻撃されるということに非常に敏感です。
モンゴルのチンギス・ハン、フランスのナポレオン、そしてドイツのヒトラーに攻められ多くの死者を出しました。
特に第二次世界大戦では2700万人という多数が死亡しました。
それで戦勝国となりわずかな国土を獲得しました。
ロシアではその戦争のことを「大祖国戦争」と呼び、いまだにその功労者たちを顕彰し、犠牲者を悼むといった式典が大規模に行われています。
このような意識の国民にとって、NATOが徐々に拡大しロシア国境まで迫ってきたという状況は恐怖感を感じさせるものだったのでしょう。
クリミアやウクライナ東南部諸州の併合についても西側諸国からは厳しく批判されています。
しかしソ連時代のロシアとウクライナの関係というのはほとんど国内の他県といった程度のもので、クリミアなどもそれほど深い意識のないままウクライナ領としたのは1954年になってのことでした。
ロシア人も多い地域であり、それを強制的にウクライナに組み込まれたと感じる人もいるようです。
ウクライナ侵攻後、馬場さんはロシア・ウクライナに住む多くの知人と連絡を取り合ってその思いを聞いていますが、やはり戦争は怖いと思うのは双方いずれでも同様です。
しかしウクライナの人々はこれでロシアに対しては大きな反感を形成してしまったのは間違いないようです。
ロシアの人々の考え方や生活といったものについて、あまり知らなかったということを改めて突き付けられました。