爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「戦争画とニッポン」椹木野衣、会田誠著

第二次大戦に至る戦争の時代に、日本は画家たちを動員して戦争を描かせました。

彼らは戦地に従軍し見た光景を絵にしていきました。

しかし戦争に負けた後はそれらの絵は顧みられることもなくなり、さらに画家も戦犯になるという噂も流れたために闇に葬られた絵も多かったようです。

 

その後も反戦という雰囲気が強い中ではそのような戦争画を評価するどころか、紹介するだけでも反発を受けるような時代が長く続きました。

 

このような戦争画について、美術評論家の椹木さんが画家で戦争に関する絵も描いている会田さんを招き、あれこれと対談をしてまとめたのが本書です。

 

戦争画を見ることができる場というのはまだほとんどありません。

しかし、いくつかは紹介されているので見た覚えはあります。

華々しい勝ち戦を描いたような絵もありますが、兵士たちの日常生活を描いたようなものも多かったようです。

画家の多くは西洋画家で油絵が多いのですが、中には日本画家も何人かは居たようです。

絵具などの画材はすでに品不足となっており従軍画家でなければ入手できないという状況でもあり、軍部への協力をしなければ画家活動も続けられないことになっていました。

なお、戦地を訪れて戦場の光景を見たと言ってもやはり最前線にまでは行かなかったので、実際の戦闘場面を描いているということはないようです。

従って、戦死者の状況などはあまり描かれることはありません。

そこには軍部の意向もあり、あまり悲惨な場面などを見て戦意が落ちることを恐れていたようです。

 

敗戦後は噂のような戦犯裁判への召喚ということはなかったのですが、多くの画家たちはその話は封印し無かったかのように振る舞いました。

そのためか、戦後すぐには多くの画家は裸婦像の製作に取り組み、異様なほどの状況だったようです。

 

本書には多くの戦争画が挿入されています。

戦争遂行にすべて向かって行った時代ではあったのでしょうが、中には戦意高揚には全くつながらないような絵もあり、画家たちの考えも色々だったようです。

 

 

ウクライナ紛争は世界的な食料危機を引き起こすか。

私はどうもエネルギー関連に目が向きがちですが、ウクライナの戦争状態は世界的な食料危機を引き起こす危険性の方が大きいようです。

www.bbc.com

国連の発表として報道されたのは、今後何か月かのうちに世界的な食料不足が発生する恐れがあるというものです。

 

ウクライナは世界へ食料を供給する重要な生産拠点でした。

小麦やトウモロコシ、ヒマワリ油などを大量に輸出していました。

ロシア南部も同様であり、合わせて世界の小麦の生産量の3分の1を占めていたそうです。

それがロシアのウクライナ侵攻で止まってしまいました。

大規模な飢饉が発生する危険性も大きいのですが、すでに食料全体で価格上昇が起きています。

今後はさらにその状況が悪化するかもしれません。

飢饉だけでなく暴動の発生も頻発しそうです。

各国は「ロシアへの非難」を発していますが、そのようなもので収まるはずもありません。

 

日本も今後大きな影響を受けそうです。

 

「民話と伝承の絶景36」石橋睦美著

著者の石橋さんは民話や伝承の溢れる日本各地を旅をして回り、その現場を見て歩くということをされているのですが、本業は写真撮影の方で力量も相当の方とお見受けします。

そこで各地の民話の里で撮影した写真とその話をとを絡めその36か所を紹介するというのが本書です。

北は北海道から西は中国・四国まで。(九州にはいらっしゃらなかったようです)

風景のきれいなところの写真もありますが、深い森の中の薄暗いところでの石塔などの光景というのも詩情あふれるものです。

 

北海道や東北の各地はあまり馴染みがないので、よく知っている地域のものだけ紹介しておきます。

 

長野県北部の姫川流域を通う千国街道はまたの名を塩の道と呼びます。

麓のあたりでは新緑がまぶしい時期でも背景の後立山連峰はまだ雪が残っています。

この道には山姥の伝説が残っています。

塩の道を通っていた牛方(牛を使って荷を運んだ)の若者が峠を通りかかると山姥が現れ、積み荷の干鱈を食べさせろというのでやるとウシまで食べてしまい、やっとのことで逃げ出し反撃して山姥を倒すという話だそうです。

戦国時代に塩の欠乏に苦しんだ甲斐の武田に上杉謙信が塩を運ばせた「義塩の道」もここだそうです。

 

木曽川中流、上松付近に寝覚めの床という名所がありますが、そこには浦島太郎伝説が伝わっています。

浦島太郎はもちろん海沿いの話であり、故郷は丹後だったのですが、竜宮から帰った太郎は故郷に誰一人として知った人が居ないことに落胆し丹後を離れたどり着いたところが木曽の寝覚めの床だったということです。

木曽川の流れが花崗岩の巨岩の間を流れる美しい場所です。

 

民話の数々はやはり庶民の厳しい生活を反映してか、悲しいものが多いようです。

それの舞台となった各地の風景はそれでも美しいものが多いようです。

 

 

物価高対策に2兆7000億円、すべて赤字国債。いつまで打ち出の小槌をふり続けるのか。

コロナ禍やウクライナ情勢の影響で海外からの原油穀物価格が上昇し、物価が上がってきていますが、その対策として政府は2兆7000億円の支出を決め、それらの財源はすべて赤字国債で賄うそうです。

www3.nhk.or.jp

 

デフレで困窮した経済を立て直すと称しアベノミクスをやっていた頃は、「2%の物価上昇を目指す」としていたのですが、今回のような輸入物資の価格上昇に伴う物価上昇というのは目指していたものとは違うようで、「緊急対策を」と言うことです。

 

確かに収入も増えないのに商品の価格ばかりが上昇しては困るのは間違いないのですが、さて対策をといっても何をするつもりでしょうか。

 

石油価格の上昇に対しては、輸入元売り会社に対する補助金注入というおかしなことをやりました。

他の輸入物品の価格上昇にも似たようなことをして抑えるつもりでしょうか。

 

こういった対策が対策らしく見えるのは、あくまでもウクライナ情勢などが静まれば元の価格に戻るだろうからそれまでの辛抱だということでしょう。

 

しかし本当にそうでしょうか。

ウクライナやロシアの輸出が多かったコムギなどや、コロナ禍による物流停滞による価格上昇はそれが言えるかもしれません。

しかし石油や天然ガスの価格上昇はそうとばかりも言えないでしょう。

ロシア産の燃料の禁輸で価格が上昇しているのは間違いないですが、それが無くても現在の不自然な代替エネルギー開発という経済性無視の施策でかえってエネルギー価格は上昇するはずです。

となれば、ウクライナの情勢が落ち着いたとしてもエネルギー価格は戻らず高値のまま、あるいはさらに上昇ということもあるかもしれません。

 

となれば、この価格上昇は一過性のものではなく今後も続くかもしれません。

そうなれば日本政府のような補助金で価格上昇を抑えるということは意味がなく、高いエネルギー価格に合わせた社会体制の構築こそが急がれるものであり、つまりエネルギーを使わなくても良い社会への移行ということです。

バラまいている国費はそちらに使うべきであり、このツケはまたも将来を暗くするばかりでしょう。

 

赤字国債などいくら増発しても大丈夫とばかりの情勢が続いていますが、いつまでも続くはずもありません。

いずれは国の財政崩壊から国全体の経済の大混乱に陥るでしょう。

その時に誰が責任を取るのでしょうか。

「諡おくりな 天皇の呼び名」野村朋弘著

諡号(しごう)は「おくりな」とも呼ばれ、天皇の死後に付けられる呼び名です。

現在の天皇は「今上天皇」ですが、明治以降一世一元ということになり、その元号諡号とされるのは間違いありませんので、死後には「令和天皇」と呼ばれるのでしょうが、現在はまだそう呼ぶことはできません。

 

こういった諡号天皇家の歴史の中で色々な変遷をたどってきました。

その歴史について解説しているのが本書です。

 

諡号と言うものが生まれたのは古代中国です。

王や皇帝には諱(いみな)つまり実名はあるのですが、臣下などがそれを使うことはできず、王様とか皇帝陛下といった呼び方をしていました。

しかし王や皇帝が死んで代替わりすると新たな主君を王様や皇帝陛下と呼ぶことになり、前代の主君を何と呼べばよいか問題となります。

そこで亡くなった主君に諡号(おくりな)というものを贈り、それで呼ぶという習慣が生まれました。

周王朝の王たち、文王、武王、成王といった名前はその諡号です。

 

諡号の付け方が諡法というもので、様々な人々がその解説書を書いていますが、用いる文字にも三種あり、美諡、平諡、悪諡と言われています。

これは亡くなった王の業績や行為を判定するという意味が込められており、特に中国では王朝の交代ということも頻繁にあったためその最後の王はたいてい暴虐な行動で悪諡がおくられました。

幽王や煬帝という名はその悪諡にあたります。

なお、そのような後代からの批判は受けないとして諡号を廃止したのが秦の始皇帝であり、始皇帝から始めて二世、三世とつなげていくはずでしたがすぐに滅亡しました。

 

そのような中国の思想が日本に輸入され、日本でも天皇の死後に諡号がおくられるようになります。

その形式は国風諡号(和風諡号)、漢風諡号、そして追号に大別されます。

 

国風諡号とは持統天皇が「おおやまとねこあめのひろのひめのみこと」であったり、聖武天皇が「あめしらしくにおしはらきとよさくらひこのみこと」であったものを指し、これに漢字を当てはめています。

これは古代から続いた天皇の名前を応用し諡号として使われるようになったようです。

 

漢風諡号は中国の制度をそのまま輸入して用いたもので、文や武の字を用いるのも中国の制度同様のものです。

多くは奈良時代までの天皇に献呈された諡号ですが、江戸時代にも使われたことがあります。(光格天皇孝明天皇

なお、明治時代になって追贈された弘文、淳仁、仲恭などを含め59人の天皇も漢風の諡号を贈られています。

なお、日本では王朝交代は行われなかったため悪い意味をもつ諡号は使われていません。

 

しかし天皇の代替わりというものが安定的に行なわれるようになると、先帝の業績を評価し顕彰するという必要がなくなり、国風諡号も漢風諡号も使われなくなっていきます。

そこで使われるようになっていったのが「追号」というものでした。

追号には、「在所号」と呼ばれる、地名や宮・邸宅名など。

「山稜号」という、山の名前

加後号」という、「後」の字を付け加えた名前。

「二つの漢風諡号を合わせたもの」

そして現在の「元号をもって追号としたもの」が当てはまります。

その例はそれぞれ、「一条・堀河・嵯峨等」「醍醐・村上・東山」「御醍醐・後小松」「明正、零元」「明治、大正、昭和」となります。

 

追号を最初に受けたのが平城天皇(へいぜい)でした。

桓武天皇の後を受け天皇になったものの、3年で天皇位を弟の嵯峨天皇に譲り上皇として旧都の平城宮に住みました。

そして藤原薬子を寵愛し嵯峨天皇と対立し薬子の変を起こしてしまいます。

悪諡が贈られても良かったような天皇だったのですが、それはせずに平城宮に住んだからということで平城天皇と追贈されました。

 

諡号は新たに即位した天皇が先代を評価することによって自らの権威を示す意味がありますが、その諡号を自分で決めてしまうということが日本では数例あります。

こういった例は中国をはじめ東アジア各国では見ることができません。

白河院をはじめ15人いるそうですが、特に注目されるのが鎌倉後期からの後嵯峨院から御醍醐天皇で、伏見院と後二条院を除く7人が自ら死後の呼び名を決めていました。

これは皇位継承権が不安定だった時期で、自らの正当性を示すために決めていたものと考えられます。

 

天皇の呼び名がこれからどうなっていくのか、天皇制自体がどうなるかという問題もありますが、共に考えていきたいものです。

 

 

金で釣ってのマイナンバーカードごり押しさらに広がる。健康保険証登録で7500円

使いようのないマイナンバーカードを何とか広めようと、金で釣っての普及作戦第2弾が始まりました。

健康保険証としてマイナンバーカードを使えるように登録で7500ポイント、国からの給付金を受け取る公金受け取り口座の登録でさらに7500ポイントということです。

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だいたい、金で釣らなければやらないようなものは魅力が無いから普及しないというのは当たり前の話です。

使って便利なものは言われなくても取り入れるというのは人情としても当然であり、そうでないものをごり押しすれば無理が広がるばかりです。

 

とはいえ、私も最初のマイナポイントはありがたく頂いたのであまり大きな顔で批判だけするのもなんですが。

 

もしもこのマイナンバーカード1枚ですべてのカード使用に対応できるとなれば、いくら疎い人でもやろうとなるでしょう。

今は汎用性の無いカードばかり溢れています。

とはいえ、もしもそうなったら紛失や盗難が大変なことになりますが。

 

まあ、今回は見送りですね。

どうせまだ前回のポイントも使い切ってないし。

 

「戸籍に読み仮名」となりそうだが、「キラキラネーム」容認になってしまうのか。

日本の戸籍には現在は「漢字の読み」は登録されていないということは知られていることだと思いますが、「デジタル化の妨げとなる」として「漢字に読み仮名をつける」ことになりそうです。

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法務大臣の諮問機関である法制審議会で中間試案をまとめたということです。

 

しかしそもそも「デジタル化の妨げになっている」から戸籍に読み仮名を付けるという前提自体、非常に不快感を覚えます。

 

日本語の独自性、漢字と仮名という二体系の文字を同時に使うという世界でも稀に見る特性の利点をフルに活用しというのならまだしも、単に「行政手続きの都合」だけですか。

 

それだけでもかなりの疑念が湧きますが、法制審議会の委員がどのような連中かということも知りませんが、試案の一部を見るだけでもそれが分かるような気がします。

 

読み方は「公序良俗に反しない範囲で認める」とか「法務省令で定めるものとする」とか。

たぶん、日本語としての漢字の読みなどと言う文化的側面にはほとんど興味も知識もない連中が単にデジタル化の都合だけで話しているのでしょう。

別の報道では「”海”を”マリン”と読むのはOK」などと言うものもありました。

唖然としてしまいます。

 

いわゆる「キラキラネーム」にも様々であり、一時話題になったような「悪魔」などと言うものもその範疇と意識されるかもしれませんが、「日本語の特性」ということから考えて一番問題なのが「伝統的な読み方を破壊した」名付けです。

 

漢字には音読みと訓読みがありますが、大和時代に漢字を中国から受け入れた時以来、日本でのその漢字に対応した意味と中国でのその漢字の読み方とを並列させ、前者を訓読み、後者を音読みとしてきました。

そこにはおのずから最低限の原則があり、一つの漢字には多くの読み方があるようですが、その原則から外れた読み方を無制限に認めていくと音訓読みの根幹が崩れてしまいます。

例えば、「訓読み」というのは「日本語でいう漢字の意味」であり、「心」という字は日本では「こころ」という意味であったためその読み方としたのです。

これを「こ」や「ここ」と読ませるのは全く意味を持ちません。

 

上記報道で「読み方は慣用による」などと言う案を言う委員もいたように書かれていますが、そんな「読み方慣用表」などというものがどこにあるのでしょう。

漢和辞典を見ても漢字の読み方として掲載されているものには辞典著者によって様々でしょうし、どこまでが慣用例として認められるかも決まった解釈はないはずです。

たとえば明治時代の文豪の作品にもかなり無茶な読み方をさせる例があり、そんなものも「使用例」としてしまえば「なんでも良い」になってしまいます。

これからそれを決定などと言うことになれば、議論に長期間かかりしかも結論が出ないということにもなり兼ねません。

 

現行のままで何が悪いのでしょうか。

自分の名前の読み方など自分で決めればよいことです。

漢字の読みはこれまで通り、戸籍には掲載しない。

もしデジタル化したいなら勝手に一つの読み方に統一してやってしまえば。

たとえば、すべて音読みの代表読み1つに統一。

岸田文雄」であれば「ガンデンブンユウ」にしておけば。

 

追加)「法制審議会戸籍部会」のメンバーという名簿を見ました。

https://www.moj.go.jp/content/001277172.pdf

やはり「法学者」「政治学者」「官僚」「行政担当者」といった連中で、国語学者歴史学者といった方々は入っていないようです。

これでなんで日本語の表記という問題に対する提言ができるのでしょうか。