日本の戸籍には現在は「漢字の読み」は登録されていないということは知られていることだと思いますが、「デジタル化の妨げとなる」として「漢字に読み仮名をつける」ことになりそうです。
法務大臣の諮問機関である法制審議会で中間試案をまとめたということです。
しかしそもそも「デジタル化の妨げになっている」から戸籍に読み仮名を付けるという前提自体、非常に不快感を覚えます。
日本語の独自性、漢字と仮名という二体系の文字を同時に使うという世界でも稀に見る特性の利点をフルに活用しというのならまだしも、単に「行政手続きの都合」だけですか。
それだけでもかなりの疑念が湧きますが、法制審議会の委員がどのような連中かということも知りませんが、試案の一部を見るだけでもそれが分かるような気がします。
読み方は「公序良俗に反しない範囲で認める」とか「法務省令で定めるものとする」とか。
たぶん、日本語としての漢字の読みなどと言う文化的側面にはほとんど興味も知識もない連中が単にデジタル化の都合だけで話しているのでしょう。
別の報道では「”海”を”マリン”と読むのはOK」などと言うものもありました。
唖然としてしまいます。
いわゆる「キラキラネーム」にも様々であり、一時話題になったような「悪魔」などと言うものもその範疇と意識されるかもしれませんが、「日本語の特性」ということから考えて一番問題なのが「伝統的な読み方を破壊した」名付けです。
漢字には音読みと訓読みがありますが、大和時代に漢字を中国から受け入れた時以来、日本でのその漢字に対応した意味と中国でのその漢字の読み方とを並列させ、前者を訓読み、後者を音読みとしてきました。
そこにはおのずから最低限の原則があり、一つの漢字には多くの読み方があるようですが、その原則から外れた読み方を無制限に認めていくと音訓読みの根幹が崩れてしまいます。
例えば、「訓読み」というのは「日本語でいう漢字の意味」であり、「心」という字は日本では「こころ」という意味であったためその読み方としたのです。
これを「こ」や「ここ」と読ませるのは全く意味を持ちません。
上記報道で「読み方は慣用による」などと言う案を言う委員もいたように書かれていますが、そんな「読み方慣用表」などというものがどこにあるのでしょう。
漢和辞典を見ても漢字の読み方として掲載されているものには辞典著者によって様々でしょうし、どこまでが慣用例として認められるかも決まった解釈はないはずです。
たとえば明治時代の文豪の作品にもかなり無茶な読み方をさせる例があり、そんなものも「使用例」としてしまえば「なんでも良い」になってしまいます。
これからそれを決定などと言うことになれば、議論に長期間かかりしかも結論が出ないということにもなり兼ねません。
現行のままで何が悪いのでしょうか。
自分の名前の読み方など自分で決めればよいことです。
漢字の読みはこれまで通り、戸籍には掲載しない。
もしデジタル化したいなら勝手に一つの読み方に統一してやってしまえば。
たとえば、すべて音読みの代表読み1つに統一。
「岸田文雄」であれば「ガンデンブンユウ」にしておけば。
追加)「法制審議会戸籍部会」のメンバーという名簿を見ました。
https://www.moj.go.jp/content/001277172.pdf
やはり「法学者」「政治学者」「官僚」「行政担当者」といった連中で、国語学者、歴史学者といった方々は入っていないようです。
これでなんで日本語の表記という問題に対する提言ができるのでしょうか。