爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「ものがたり水滸伝」陳舜臣著

水滸伝は、宋の時代を舞台にしたもので、明代に成立した中国四大奇書の一つとされているものですが、内容はそれまでに街頭の講談などで広く語られていたものと見られています。

講談だけに、荒唐無稽なものですが、この陳舜臣さんの本は内容をかなり合理的に整理して、現代でも読みやすいような形にしています。

 

ただし、基本的な筋は変えてはいないようです。

古代に封じられた妖魔が抜け出し、人間に形を変えて集まって梁山泊を根城に腐敗した王朝に抵抗するというものです。

ただし、明代以前に語られていた講談の中には長いものもあり、そこでは豪傑たちが朝廷に取り込まれて戦い死んでいくといったところまで描いているものもありますが、さすがに陳さんは70回本という、豪傑たちが集合するところまでで止めたものに倣ったそうです。

 

内容は触れないことにしますが、まあ良く知れ渡っているものですので、あえて書くこともないでしょう。

 

ものがたり水滸伝 (朝日文庫)
 

 

熊本地震から5年、復興は進むが次の大地震の不安も。

熊本地震から5年が経ちました。

あの余震というには大きすぎる地震がひっきりなしにやってくる中、避難のために外出着を着たまま横になっていたのが少し前のようにも思います。

 

しかし、その直後に産まれた初孫がもう自転車を乗り回し、絵本のひらがなを読めるようになったのですから、やはりかなりの月日が流れたということなのでしょう。

 

復興事業はかなり進みました。

交通網被害の一番ひどかったのは阿蘇方面ですが、寸断されてしまった国道57号線、JR豊肥線は去年から今年にかけて開通、新阿蘇大橋も完成し、あとは南阿蘇鉄道を残すばかりとなりました。

熊本城の復旧工事も進み天守閣への入場も今月中に再開されるようです。

石垣はまだかなりの年月がかかりそうですが、徐々には進んで行くのでしょう。

 

ところが、大地震はまだ終わりではないと注意が喚起されています。

 

この地震熊本市西部から阿蘇を越えて大分方面までつながっている布田川断層の益城町から阿蘇にかけての部分がずれて起きたのですが、この断層の益城町以西の部分、そしてこれに接して西南方面に延びる日奈久断層はまだほとんどエネルギーが放出されておらず、いつ大地震が起きてもおかしくないそうです。

 

このかなり大きな断層が接しているというかなり複雑な構造で、これまでにも大きな地震が続けて起きるということが何度も見られており、今回もそうならないとは言えないようです。

 

私の住む熊本県南にとっては、日奈久断層の地震の方が影響は大きいのでもしも発生すれば被害は大きなものとなるかもしれません。

 

また再びあのような思いをしなければならないのか。

せめて規模の小さなもので済むことを祈るだけです。

「ヒトはなぜ、夢を見るのか」北浜邦夫著

なにしろ、「夢の話」といったコーナーをブログにも設けているほどですので、夢についてはかなり興味があります。

 

この本は、高校生の頃に瀕死の状況に陥いった時にまさかのような夢を見て生き返ったという経験から「意識と夢」についての研究を志し、脳生理学、精神分析学などを探求してきた著者が「睡眠と夢」というものを一般読者にも解説しようとしたものです。

 

高等生物が睡眠をとるのは間違いないのですが、それでは生物はすべて眠るのかどうか。

これは中々難しい問題で、「昆虫は眠るのか」ということもはっきりとは分かっていないようです。

ゴキブリやサソリが昼間はおとなしくしているのは分かりますが、かと言ってその時「眠っている」のかどうか、睡眠の定義が難しいので決めることができないそうです。

 

哺乳類、鳥類では眠っているという状態があるのは間違いありません。

鳥では徐波睡眠と逆説睡眠の両方が存在することが確かめられています。

これは哺乳類とほぼ同様の状態であり、これを「真睡眠」と呼んでいます。

 

このような睡眠の状態は脳が進化して、かつ一定の体温が維持できるようになった動物にしか見られません。

いや実は体温が安定することによって神経発生が助長され、大脳皮質が発達してきたとも考えられています。

そして、その発達した大脳皮質はあまりにも大きなエネルギーを消費するために、時々は休ませてやる必要があり、それが睡眠につながっていたのかもしれません。

 

ヒトでは一晩に4回、逆説睡眠が繰り返されます。

まとめて長く取ってしまえば良いようなものですが、これは変えられません。

クレイトマンの人間リズム90分周期説というものがあり、一定の時間以上の逆説睡眠はとれない仕組みになっているようです。

逆説睡眠時には覚醒時と同じほどにエネルギーが必要とされるので、エネルギー源のブドウ糖がどんどん消費されてしまいます。

脳内のブドウ糖を消費してしまうとそれ以上は逆説睡眠できなくなり、ブドウ糖を貯めるための時間が必要となるのですが、それが90分だという説です。

 

なお、「レム睡眠」という言葉もありますが、これはRapid Eye Movement Sleepすなわち急速眼球運動睡眠の頭文字を取ったもので、アメリカの学会でよく使われたのですが、常に眼球運動が起きるとは言えないので、ヨーロッパ系の学会では「逆説睡眠」と呼ばれるようになったということです。

この本では「レム睡眠」「ノンレム睡眠」という術語は使わず「逆説睡眠」「徐波睡眠」を使っています。

 

夢を見るのは逆説睡眠の中でのことです。

クレイトマンが眠っている時に眼球が動き始める時間があることを発見し、脳波を調べていくとその眼球運動と連動して脳の活動が活発化するために、この時に夢を見ているに違いないと考え、その時に被験者を起こしてみるという研究をしたところ、ほとんどの場合夢を見ていたことが分かったのは、1953年のことでした。

これ以降、夢を見るという現象をさまざまな実験で調べることができるようになりました。

 

なお、逆説睡眠時には大脳は活発に活動していますが、筋緊張は低下します。

このため、夢の中では運動したりしていても、実際には身体が動くことはありません。

これが崩れてしまうと夢遊病になってしまいます。

また逆説睡眠のサイクルが変則的になったり、ホルモンバランスの影響で逆説睡眠時に覚醒したりすることがありますが、この時は筋緊張が低下したままのため、体を動かそうとしても動かないという「金縛り」と認識されることがあります。

もう少し覚醒度が上がると身体のスイッチが入って動けるようになります。

 

夢はみていてもすぐに忘れるというのは、夢を見るのは作業記憶、ワーキングメモリーという領域を使っているからです。

特に印象が強い夢以外はどんどん消えていくので一回の逆説睡眠が終わるとその回の夢はすべて忘れてしまいます。

したがって、覚えている夢は最後の逆説睡眠時のものだけになります。

それも目覚めてからちょとすると忘れてしまいます。

 

夢を見ている時に「これは夢なんだ」と意識することがあります。

これを明晰夢と呼ぶそうですが、これは逆説睡眠時でもかなり高い程度に新皮質が活性化されている状態で、人によってはこれを良く見る人も居るそうです。

 

夢を見るという行為について、まだまだ研究は進んでいる最中のようです。

 

最後の章には「夢はなんの役に立つのか」ということも論じられていますが、一説には「何の役にも立たない」というのもあるそうです。

まあ、そうなのかもしれません。

 

ヒトはなぜ、夢を見るのか (文春新書)

ヒトはなぜ、夢を見るのか (文春新書)

  • 作者:北浜 邦夫
  • 発売日: 2000/08/01
  • メディア: 新書
 

 私もかなり夢を見る方ですが、実際に「これは夢なんだ」と認識する明晰夢も見ています。

それどころか「この夢はブログに書ける」という夢も見ています。

こんなことを知られると「研究対象に最適」とでも見られるでしょうか。

ここまで来ると悲惨、大阪で聖火リレーは公道は中止、万博公園のみ

爆発的感染拡大となった大阪での聖火リレーは予定の公道での実施は不可能となり、万博記念公園で観客は入れずに行うこととなりました。

www.nikkansports.comこれでもやらなければならないものなのかどうか、多くの人が疑問に思うはずです。

 

滑稽とか、醜悪といった感覚を通り越し、もうここまで来ると悲惨としか言いようがない状況になってしましました。

 

参加する人々も、本来であれば国民のオリンピックへの期待感を盛り上げるということで、高揚感もあったのでしょうが、どういう気持ちで走るのでしょう。

もう「ピエロの悲哀」などといった詩情すらありません。

 

先日の私の予言「5月上旬、熊本県あたりまで」というのがますます真実味を増してきました。

 

「世界を変えた 微生物と感染症」左巻健男編著

今まさに、感染症が世界中を覆っているようですが、人類の歴史というものは感染症とともに存在していたようなものです。

 

この本は2020年8月出版ですので、新型コロナウイルスについての記述も含まれていますが、それだけではなく他の多くの感染症についても説明されています。

それだけでなく、発酵などで人の役に立つ微生物についても触れられており、また微生物そのものについても簡単に説明されています。

 

これだけ大きく人類の社会が脅かされているのですが、その割にウイルスや細菌についての知識と言うものは広がらないままのようです。

多くの人にこの本で伝えられているものが広まったら、もう少し感染症に対する態度も変わってくるかもしれません。

 

なお、ちょっと盲点になるかもしれない知識というものもありました。

「滅菌、殺菌、消毒、除菌、抗菌」はどう違うか。

これもほとんどの人が正確な知識は持たないでしょう。

微生物を完全に死滅させるのは「滅菌」です。

よく使われる方法はオートクレーブという121℃の高温高圧の水蒸気で10分から20分という条件です。

消毒というのは、滅菌ほどではないが普通の細菌は死滅する条件です。

ただし、芽胞菌などという高温耐性の菌は生き残ることがあります。

殺菌、除菌、抗菌というのは定義が明確ではありません。

まあ、少しは菌を減らせるかな程度のものとも言えます。

 

乳酸菌が健康に良いというのは、日本人の多くが持っている感覚ですが、実ははっきりとした科学的根拠はまだ確立されていません。

EUはその根拠をメーカーに求めたものの、はかばかしい結果が出せるところは無く、2014年にEU域内では「プロバイオティクス」という言葉を使うことを禁止しています。

これも、適切な解説でしょう。

 

人体には常在菌というものがあり、それとの共棲が重要だということも明らかになってきていますが、これについても簡単ながら解説されています。

皮膚の常在菌は病原菌の体内への侵入を防ぐという効果もあります。

また、腸内細菌は人体の免疫にも強く関わっており、その役割も想像以上のものがあります。

これも今後さらに解明が進んで行くでしょう。

 

簡単な記述ですがよくまとまっている内容だと感じました。

 

世界を変えた微生物と感染症 (単行本)

世界を変えた微生物と感染症 (単行本)

  • 作者:左巻健男
  • 発売日: 2020/08/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

農水省の「有機農業推進」方針について、松永和紀さんが正面から批判。

農水省が「有機農業推進方針」を発表しましたが、それについて食品ジャーナリストの松永和紀さんが、あまりにも杜撰と批判しています。

wedge.ismedia.jp

「みどりの食料システム計画」と名付けられた案ですが、「食の安全」にはまったく見当された気配も感じられないということです。

 

これはEUが2020年に定めた有機農業推進策を参考に作ったもののようです。

 「EUは、2030年までの化学農薬50%削減、肥料の20%削減、有機農業面積25%以上という目標を掲げて」

これに対して農水省の出したプランは、「2050年までに、化学農薬の使用量を50%低減/化学肥料の使用量を30%低減/耕地面積に占める有機農業の取組面積の割合を25%(100万ヘクタール)に拡大」と削減目標の数値はほとんど一緒、ただし目標に達するまでの期間が20年先になっているだけです。(それも情けない)

 

有機農業については、日本では「有機JAS認証」という制度があります。

2018年にその認証を取った農地は全体の0.3%しかないそうです。

それを2050年というかなり先ではあるものの、25%まで増やそうということです。

 

具体策は何もないようで、「2040年までに次世代有機農業技術の確立」などといった空疎な言葉が並んでいます。

 

さらに、松永さんが指摘しているのは、このような技術的裏付けのないことを無理押ししようとすると、「カビ毒」の蔓延など思わぬ副作用が出るということです。

 

農薬を散布しなければ良いことばかりと思いがちですが、実はそれで有毒物質を作るカビが繁茂する危険性も非常に高くなります。

特に日本のような高温多湿の環境ではこの危険性は乾燥地帯と比べかなり高いものです。

アフラトキシンというカビ毒成分については名前くらいは聞いたことがあるかもしれませんが、他にも多くのカビ毒がありその蔓延に伴う食品への毒性物質混入は無視できない影響が出るかもしれません。

 

数字合わせのポーズのみの政策など、やっている暇があるのでしょうか。

化石エネルギーはなぜ使ってはいけないのか

色々な思惑が重なってのことでしょうが、「化石エネルギー」つまり石油、天然ガス、石炭といった古代の生命活動で貯蔵されたエネルギーを使用するという、これまでの「エネルギー依存文明」の基礎とも言える在り方をひっくり返そうという動きが急激に強まっています。

 

「脱炭素化」だの「持続可能」だのと、言い方はいろいろありますが、本質は化石エネルギーを使わないということに絞られてきます。

 

本当にそんなことが可能なのかどうか、疑問点は数多いのですが、まず最初に「なぜ使ってはいけないのか」という点が必ずしも人々に理解されているのかどうかも不確かです。

 

その点に絞って、これまでの状況を再確認していただきたいと思います。

多くの人が思うがまま色々と述べていますが整理していきましょう。

 

二酸化炭素温暖化による気候変動論

現状ではこれが一番勢力があるのでしょうか。

国連などの国際機関、各国政府などもうわべだけはこれに沿った主張をしているようです。

 

この論の主眼は、「これまで地中に埋もれていた化石エネルギーである炭化水素や炭素を掘り出して用いることで二酸化炭素として空気中に放出し、その結果大気中二酸化炭素濃度が上昇し温室効果によって気温も上昇、その結果気候変動が起きている」ということです。

 

「それの何が悪いのか」という反論が多すぎるために、それによる気候変動と気象災害が恐ろしいという脅しを続けています。

 

化石エネルギー消費で二酸化炭素が発生していること、そして大気中の二酸化炭素濃度が上昇していることは間違いないことですが、その先に本当につながっているのか、疑問点も非常に多いところです。

 

その対策として主張され、進められているものの多くは効果がないばかりでなく悪影響が大きいものですが、その点についてはここでは触れません。

 

②化石エネルギー使用による環境汚染(二酸化炭素は除く)

石油、石炭などにはその主成分である炭化水素、炭素以外にイオウなどの成分も多く含まれており、それが燃焼などによって有害物質になって放出されるということが、特に利用初期には頻繁に起きました。

その後、技術の向上によってかなり緩和はされていますが、無くなることはありません。

また、石油などから作られるプラスチックの廃棄物による環境汚染が広がり、その影響が急激に広く論じられるようになっています。

ただし、この議論では解決策として使用削減というよりは代替策偏重となることが多いようで、かえってひどい環境破壊につながりかねないことになりそうです。

 

 

オイルピーク説などに見られるような、「化石エネルギー資源の減耗による危険」

ここから先は現状では論者も少なく賛同者も増えないというものになります。

 

アメリカの石油資源研究者、ハバードがアメリカの石油資源はすでに供給のピークを過ぎたことを発見し、1956年に発表したのですが、世間の賛同はほとんど得られませんでした。

しかし、世界的に見ても遠からずこの危険がやってくるとして、ASPO(石油ピーク研究連盟)といった世界的な組織が研究を続けている他、日本でも「もったいない学会」といった人々が主張しています。

 

議論としては非常にわかりやすいもので、「石油などの資源は埋蔵量に限りがあり、このまま使い続ければいつかはなくなる」ということです。

ただし、資源の埋蔵量というものは当然ながらはっきりとは決めることはできず、数十年で危険域に達するという説もあれば、数千年は大丈夫という説もあり、中々合意は難しいものであり、経済優先の政財界からは無視される宿命にあります。

 

 

④世代間倫理を化石エネルギー使用に適用する。

これは、はっきり言ってほとんど議論の対象にする人は居ません。

私一人だけということはないでしょうが、どこが問題かもほとんど理解されていないでしょう。

 

「世代間倫理」とは、現在の社会や今生きている世代だけで考えるのではなく、子孫の立場に立って倫理を考えようということです。

現状で議論されている例では、「莫大な国債の問題」や「核の廃棄物の処理の問題」、

「ひどすぎる環境汚染問題」などがあります。

つまり、現在そしてこの先のごく近い将来だけでは解決できないような問題をそれ以上の未来に先送りすること、ということは「将来の世代に解決をゆだねる」(というか、押し付ける)ということは、してはならないことではないかということです。

 

その世代間倫理を化石エネルギー問題に適用するとはどういうことか。

 

まず、石油などの化石エネルギーというものはエネルギーとしても資源としても非常に効率が良く、抜群に優れた資源であるということです。

これは、ほとんど否定をできる人は居ないでしょう。

 

そしてさらに、「使って行けばいつかは無くなってしまう」ものであることも間違いないでしょう。

 

オイルピーク論によれば、このまま使って行けば数十年、ちょっと長くても100年程度でかなり減ってしまいます。

我々の世代、そしてせいぜいその次かさらにその次の世代だけで、このような高級な資源を使い果たして良いものだろうか。

それがこの問題の要点です。

そして、「だからこんな調子で化石エネルギーの大量使用を続けてはいけない」というのが主な主張となります。

非常にすっきりとして、わかりやすい議論だと思うのですが、まあ賛同者はほとんど得られないでしょう。

 

 

 

このように、「化石エネルギーの使用を抑える」という議論は色々ありますが、それに反対し「どんどん使え」というのはこれらの点に直接反論するのではなく「経済運営に必要」だとか「経済成長するため」、また「快適な生活をしたい」といった主張になります。

まったく議論がかみ合わず、それに対するために「急激な気候変動による災害頻発」などといった点を強調しなければならなくなっているわけです。

 

とにかく「化石エネルギー使用に歯止めを」という点で一致できればよいのかもとも思いますが、そうも行かないのでしょう。