爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

化石エネルギーはなぜ使ってはいけないのか

色々な思惑が重なってのことでしょうが、「化石エネルギー」つまり石油、天然ガス、石炭といった古代の生命活動で貯蔵されたエネルギーを使用するという、これまでの「エネルギー依存文明」の基礎とも言える在り方をひっくり返そうという動きが急激に強まっています。

 

「脱炭素化」だの「持続可能」だのと、言い方はいろいろありますが、本質は化石エネルギーを使わないということに絞られてきます。

 

本当にそんなことが可能なのかどうか、疑問点は数多いのですが、まず最初に「なぜ使ってはいけないのか」という点が必ずしも人々に理解されているのかどうかも不確かです。

 

その点に絞って、これまでの状況を再確認していただきたいと思います。

多くの人が思うがまま色々と述べていますが整理していきましょう。

 

二酸化炭素温暖化による気候変動論

現状ではこれが一番勢力があるのでしょうか。

国連などの国際機関、各国政府などもうわべだけはこれに沿った主張をしているようです。

 

この論の主眼は、「これまで地中に埋もれていた化石エネルギーである炭化水素や炭素を掘り出して用いることで二酸化炭素として空気中に放出し、その結果大気中二酸化炭素濃度が上昇し温室効果によって気温も上昇、その結果気候変動が起きている」ということです。

 

「それの何が悪いのか」という反論が多すぎるために、それによる気候変動と気象災害が恐ろしいという脅しを続けています。

 

化石エネルギー消費で二酸化炭素が発生していること、そして大気中の二酸化炭素濃度が上昇していることは間違いないことですが、その先に本当につながっているのか、疑問点も非常に多いところです。

 

その対策として主張され、進められているものの多くは効果がないばかりでなく悪影響が大きいものですが、その点についてはここでは触れません。

 

②化石エネルギー使用による環境汚染(二酸化炭素は除く)

石油、石炭などにはその主成分である炭化水素、炭素以外にイオウなどの成分も多く含まれており、それが燃焼などによって有害物質になって放出されるということが、特に利用初期には頻繁に起きました。

その後、技術の向上によってかなり緩和はされていますが、無くなることはありません。

また、石油などから作られるプラスチックの廃棄物による環境汚染が広がり、その影響が急激に広く論じられるようになっています。

ただし、この議論では解決策として使用削減というよりは代替策偏重となることが多いようで、かえってひどい環境破壊につながりかねないことになりそうです。

 

 

オイルピーク説などに見られるような、「化石エネルギー資源の減耗による危険」

ここから先は現状では論者も少なく賛同者も増えないというものになります。

 

アメリカの石油資源研究者、ハバードがアメリカの石油資源はすでに供給のピークを過ぎたことを発見し、1956年に発表したのですが、世間の賛同はほとんど得られませんでした。

しかし、世界的に見ても遠からずこの危険がやってくるとして、ASPO(石油ピーク研究連盟)といった世界的な組織が研究を続けている他、日本でも「もったいない学会」といった人々が主張しています。

 

議論としては非常にわかりやすいもので、「石油などの資源は埋蔵量に限りがあり、このまま使い続ければいつかはなくなる」ということです。

ただし、資源の埋蔵量というものは当然ながらはっきりとは決めることはできず、数十年で危険域に達するという説もあれば、数千年は大丈夫という説もあり、中々合意は難しいものであり、経済優先の政財界からは無視される宿命にあります。

 

 

④世代間倫理を化石エネルギー使用に適用する。

これは、はっきり言ってほとんど議論の対象にする人は居ません。

私一人だけということはないでしょうが、どこが問題かもほとんど理解されていないでしょう。

 

「世代間倫理」とは、現在の社会や今生きている世代だけで考えるのではなく、子孫の立場に立って倫理を考えようということです。

現状で議論されている例では、「莫大な国債の問題」や「核の廃棄物の処理の問題」、

「ひどすぎる環境汚染問題」などがあります。

つまり、現在そしてこの先のごく近い将来だけでは解決できないような問題をそれ以上の未来に先送りすること、ということは「将来の世代に解決をゆだねる」(というか、押し付ける)ということは、してはならないことではないかということです。

 

その世代間倫理を化石エネルギー問題に適用するとはどういうことか。

 

まず、石油などの化石エネルギーというものはエネルギーとしても資源としても非常に効率が良く、抜群に優れた資源であるということです。

これは、ほとんど否定をできる人は居ないでしょう。

 

そしてさらに、「使って行けばいつかは無くなってしまう」ものであることも間違いないでしょう。

 

オイルピーク論によれば、このまま使って行けば数十年、ちょっと長くても100年程度でかなり減ってしまいます。

我々の世代、そしてせいぜいその次かさらにその次の世代だけで、このような高級な資源を使い果たして良いものだろうか。

それがこの問題の要点です。

そして、「だからこんな調子で化石エネルギーの大量使用を続けてはいけない」というのが主な主張となります。

非常にすっきりとして、わかりやすい議論だと思うのですが、まあ賛同者はほとんど得られないでしょう。

 

 

 

このように、「化石エネルギーの使用を抑える」という議論は色々ありますが、それに反対し「どんどん使え」というのはこれらの点に直接反論するのではなく「経済運営に必要」だとか「経済成長するため」、また「快適な生活をしたい」といった主張になります。

まったく議論がかみ合わず、それに対するために「急激な気候変動による災害頻発」などといった点を強調しなければならなくなっているわけです。

 

とにかく「化石エネルギー使用に歯止めを」という点で一致できればよいのかもとも思いますが、そうも行かないのでしょう。