爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「九州男児の解説書」九州男児を愛する会著

まあ、まったく他愛のない内容の本でして、出張帰りの新幹線などでビール片手に読むのに最適といった本でしょう。

ただし、そのわりには税抜き1000円というのはやや高めかも。

想像ですが、この本は博多駅福岡空港の売店で売ることを想定していたのでは。そこで東京や大阪に帰るサラリーマンたちが購入、読みながら博多の出張先で出会った連中のことを振り返ったりして。

 

生まれも育ちも他地方でありながら、たまたま就職したのが熊本の会社というので赴任して以来数十年。周りのほとんどを九州男児に囲まれて暮らしている私にとっては、「九州男児」というものは見えるようで見えない、感じているようでそうでもないという、矛盾に満ちた存在です。

 

まあ日本の他の地域の方々がイメージされているような「九州男児」像というものはほとんど間違いと思いますが、さてこの本ではなんと書いてあるのでしょう。

 

☆「思いついたことはすぐに口に出す」だそうです。

これはそうかもしれません。九州男児ではありませんが、完全な「九州女子」であるうちの家内など完全にこれです。

 

☆「運動会の騎馬戦はガチンコ勝負でないと燃えない」

これは最近はやりづらいのでしょうね。しかし、運動会の異様な雰囲気というのは他の地方とはやはり違うのでしょう。ひしひしと感じました。

 

☆「男女平等っていまひとつピンとこない」なんですが。

実は、形の上では家庭内でも女性差別とみられることは多々あると思います。

しかし、実質的には完全女性上位であることが多いようです。

 

☆「基本的に人の話は聞いていない」

という人が私の周囲にも多々見られるようです。これも当たり。

 

☆「東京にはジョイフルがなくてびっくりした」

ジョイフルにはたびたびお世話になってます。

 

なお、最後にまとめてある「九州男児データ」では、自己破産率の都道府県別順位の1位から10位までの中に高知・北海道・山口を除きすべて九州でした。

また、離婚率も宮崎4位、福岡5位など上位に並んでいます。

あまり、先のことを考えないのは確かでしょう。

 

まあ悪い人はあまり居ないんですけどね。

「ご飯のおかず」と「酒の肴」

時々見に行く新聞社のネットサイトで、女性がよく書き込む掲示板があるのですが、(読売新聞発言小町)そこに興味深い話題がありました。

 

それは、「コロッケはご飯のおかずじゃないの」というものでした。

 

書き込んだのは若い奥さんのようですが、手作りのコロッケにソースをかけてご飯を食べるのが大好きということです。

しかし、それに対してご主人の母親が「コロッケなんてご飯のおかずにならない、酒のつまみだ」と言ったとか。それにショックを受けたその方は、そこで皆さんのご意見を聞きたいということでした。

 

まあ、「ご飯のおかず」と「酒のつまみ」にすべての料理が二分されるわけでもないと思いますが、この区分けというのは各家庭の食習慣によるものでしょう。

 

それも、「生まれ育った生家の食習慣」によるのではないかと思います。

 

そもそも、酒を全く飲まない家庭というのもあります。こういう家庭では作られる料理はすべてが「ご飯のおかず」であるはずです。

 

実は私の生家もこれに近いものでした。

父は酒はよく飲んでいたのですが、平日はほとんど会社の接待で外で飲むため、家ではほとんど飲みませんでした。

もちろん、定年退職後家にいるようになったら家庭で何かをつまみに飲むようになりましたが、それは私が就職して家を離れた後ですので、どういったものを食べたのかもよく知りません。

それ以前、学校時代に生家に居た頃はどんな料理も必ず「ご飯のおかず」でした。

そのため、逆に結婚後は「何でも酒の肴にもご飯のおかずにもなる」という感覚です。

 

一方、私の家内の実家では、父親が必ず毎晩の晩酌を欠かさなかったようです。それもほとんどが刺し身で晩酌というもので、そのためか家内は結婚30年以上たった今でも「刺し身でご飯は食べられない」と言っています。

「刺し身は酒の肴」という観念が頭の中に強く刷り込まれてしまっているようです。

また、「米の入っている料理では酒は飲めない」という感覚も強いらしく、私などは炊き込みご飯やパエリアなどでは十分にお酒を楽しむことができますが、これが苦手のようです。

 

食習慣というものは、一つ間違えれば生活習慣病の原因ともなるものですから、気をつけなければいけないのですが、そこまで行かなくても様々な問題を引き起こすようです。

 

なお、「ご飯のおかず」にも「酒のつまみ」にもしにくいというものがありまして、私の場合”ホワイトシチュー”がそれです。これはパンと一緒に食べるしか無く、ご飯にも合わず酒にも合わないという感覚です。これはちょっと別問題。

 

脱エネルギー社会の構築に向けて(1) まず進めるべきは自動車社会の解体

これまでも現代のエネルギー依存文明から脱却し、脱エネルギー社会を構築する必要性については何度か書いてきました。

 

エネルギー消費量半減のための社会改革 1- 爽風上々のブログ

私の目指す日本 政治とはそれを作り出すもの - 爽風上々のブログ

 

その最大の理由は、エネルギー供給の不安が存在する中では、最悪の状態にでも対処できる方策を取ることがもっとも安全であるからということです。

すなわち、石油などの化石燃料が供給減少に向かう可能性があり、しかも自然エネルギー(この名称は本来は使えませんが)の供給力開発が間に合わない場合は、世界全体を巻き込んだエネルギー争奪戦になる危険性が高く、その場合に脱エネルギー社会に移行できている国や地域は相当有利な地位を保てるからです。

 

もちろん、化石燃料が供給不足になるのはまだ遠い将来にまで伸びるかもしれませんし、それ以前に別手段でエネルギー供給源開発が進むかもしれません。

しかし、そのような僥倖に国の安全を賭けるわけには行きません。あくまでも最悪の状況にでも対処できる方策を取るべきです。

 

また、これを少しでも早く取り組むかどうかが、もしかすると今後数百年間の国の運命を決めることになるかもしれません。

 

ちょっと太り過ぎてダイエットという人は多いでしょうが、この原則として「太った年月と同じくらいのペースで体重を落とすこと」ということがあります。

1年で3kg太ってしまったとしたら、3kg落とすのに1年かけなければいけないということです。

もし、そこら中に蔓延しているCMのように「3週間で10kg減量!」なんていうことをしたら身体に悪いに決っているからです。

 

それと一緒です。ここまで社会全体が石油などの化石燃料依存に陥ったのには少なくとも100年以上の年月がかかっています。

これだけ社会の隅々まで変化させた構造を作り変えるには、同じ年月すなわち100年かかることも覚悟しなければならないでしょう。

だからこそ、今すぐ取り掛からねばならないのです。それでも遅いかもしれません。

 

 

 それではどこから取り掛かるのか。

 やはりここは「自動車社会」の解体ということが必要になってきます。

 

2011年のエネルギーフロー概要を見てみましょう。(資源エネルギー庁HPより)

 

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石油はエネルギー源としてはいまだに非常に大きな部分を占めていますが、その多くは輸送用燃料として使われています。

民生用、産業用エネルギーでは電力使用が多いのですが、これは天然ガスや石炭由来のものが多くなっています。

 

化石燃料削減といっても、もちろん一番急ぐべきは石油依存からの脱却です。そして、今一番石油に依存しているのは文句なしに輸送、すなわち自動車でしょう。

 

そして、それを実施するためにもっとも大きな障害は現代社会が「自動車完全依存社会」であるからです。

私はこれまでも現代文明が「エネルギー依存文明」であると言い続けてきました。

そのもっとも明確な側面がこの「自動車完全依存社会」なのです。

直接的に、自動車メーカーや関連会社、運送会社等に勤務する人はその家族だけでも日本国民全体の数割という割合でしょう。さらに車に依存して業務を行っている人たちはそればかりではないでしょう。ほとんどすべての人が車に依存して生きている社会が日本なのです。(日本だけじゃないけど)

だから、いくら事故での犠牲者が出ても車社会をどうにかしようなどと言えるはずもありません。共同正犯や従犯でしかない、アルコールや認知症てんかん、などに罪を着せるばかりです。

 

これを変えようとしたら、現代社会を根底から変えていく覚悟が必要です。

これまでどおりの社会ではありません。しかし、それが必要なことなのです。

 

 (この項目、しばらく連載します)

 

「日本史の一級史料」山本博文著

著者は東京大学史料編纂所教授で、近代史を専門に史料を丹念に掘り起こし研究を重ね、著書も数多く出版されています。

 

「一級史料」といってもどれが一級か二級かという定義もないのですが、しかし、これまでの歴史通説に変更を加えさせたという史料は確かに「一級」といっても差し支えないものでしょう。

 

この本は著者がこれまでの歴史研究の中で出会ったそういた「一級史料」を紹介するために書いたということです。

 

「一級史料」というのはあくまでも主観に基づく価値観ですが、「一次史料」というのは決まっています。

書かれている事柄の当事者やそれに近い人が実際の見聞きしたものを自ら書き残したものといえば良いのでしょうか。

こういったものは、日記などの記録として残っているものが多いようです。

 

宮本武蔵といえば数々の挿話が知られており、映画やドラマにも何度も取り上げられている歴史上の有名人ですが、実は確実な「一次史料」というものはほとんど残っていません。

武蔵の養子の宮本伊織が福岡県小倉に建てた石碑と、武蔵の著書とされる「五輪書」の一部だけです。

ただし、これらも「一次」とは言えずせいぜい「良質な二次史料」程度のものです。

 

その一方、忠臣蔵として知られる赤穂事件については、それに関する一次史料が豊富に残されています。

これは、事件発生当時から世間の注目を集めるものであったために、周囲の関係者もその記録を書き残すことが多かったためです。

ただし、内匠頭切腹の際の状況や辞世の句を書き残した、幕府目付の多門伝八郎という人が残したものは、書かれた日時が切腹直後でなく浪士たちが討ち入りを果たした後であるということで、内容が真実そのものかどうか疑問が生じる点があるそうです。

 

東京大学史料編纂所というところは、寛政時代に幕府の和学講談所として開設されたという、日本一古い歴史を持つ史料研究所ですが、それでもそこに収められた史料だけを研究するのではなく、広く全国に史料探索の活動を常に実施されているそうです。

 

著者もずっと毎年各地に史料探索に出かけたのですが、その中で超一級と言えるものが、江戸時代の萩藩関係の史料の「毛利家文庫」のうち、江戸時代初期の留守居役福間彦右衛門の日記、「公儀所日乗」というものだそうです。

これで、三代将軍家光の時代の幕府と大藩の関係がかつてないほどの密度で研究できるようになったということです。

 

また、薩摩の島津藩も様々な文書を保存していました。

その中に、文政2年に薩摩藩大御隠居の島津重豪江戸城に登城し、将軍家斉に拝謁した時の「将軍の言葉」が残されていたそうです。

重豪は当時79歳、ですが藩主島津斉興の後見を勤めており、さらに将軍家斉の岳父にも当たるという重要人物でした。

その場で、家斉からねぎらいの言葉をかけられたのですが、老人でもありその言葉が上手く聞き取れなかったそうです。

そこで、老中に「無理を承知で頂いた言葉を書付にしてくれ」と申し入れ、老中も仕方ないかと将軍に許可を取り、そこで前代未聞の「将軍の言葉の書付」が渡されたとか。

 

いや、歴史と言うものは本当に面白いものです。

 

日本史の一級史料 (光文社新書)

日本史の一級史料 (光文社新書)

 

 

”賀茂川耕助のブログ”を読んで No.1191 テロとは何を指すのか

賀茂川耕助のブログ、最新記事は「テロとは何を指すのか」です。

kamogawakosuke.info

アメリカのIT大手のマイクロソフトフェイスブックツイッター、ユーチューブの4社が共同でテロ対策を行うこととなったそうです。

 

もちろん、何をやるかと言えばネットなどでの情報の流れを監視し、テロの兆候が見られれば当局に通報するということなのでしょう。

 

日本でもつい先日、国会で「テロ等準備罪」の成立をやり遂げました。

 

しかし、賀茂川さんの指摘にもあるように「テロって何」です。

イスラム教過激派組織のように、一般人の殺傷をも目的とする行為をする集団がテロリストというだけなら簡単なように思えます。

 

元々、テロリズムというのはフランス革命時の革命派が行なった恐怖政治を呼んだそうです。

つまり政治権力者が反対者を暴力的に弾圧することから始まったのですが、現在ではテロリズムの定義すら数十以上あり、どれもが自らに都合の良いように決めているだけのようです。

 

テロリストを取り締まるという名目のもと、全国民を監視する体制がいよいよ強化されることになりました。

賀茂川さんがあげているように、まさしくオーウェルの予言した「1984」の世界がやってきます。

 

大切なことは電話やメールなど使わずに会って話すということが重要になってくるかもしれません。

 

お酒の話 酒会社での体験 その6 酒税

日本ではお酒には酒税という税金がかかっているということは誰でも知っていると思いますが、細かくはわからないものと思います。

これも仕事をやっていく上では大変なものでした。

 

酒税は現在ではそれほど大きな位置を占めるものではありませんが、明治時代には国税のかなりの割合を占めていました。

1902年には国税全体の42%であったそうです。

そのため、その取締も非常に厳しいものでした。

 

酒税は「蔵出し税」と言われ、消費税などが最終消費者が払ったものを小売業者が納入するのに対し、「製造業者が出荷した際に課税される」という特徴を持っています。

このため、国としては取りはぐれが少ないという利点があるのですが、製造業者に一番負担がかかるということになります。

これは納税義務があるということだけではなく、様々な記録をきちんと残して置かなければならないということでもあり、そちらの負担も大きなものでした。

 

就職して工場に赴任した頃はまだ、工場内に税務署署員の駐在施設というものが残っていました。

当時はさすがに常駐の署員という制度は廃止されましたが、かつては何かする度にここに署員を呼びに来たということでした。

 

しかし、常駐の税務署員という制度がなくなった代わりに、製造者側の記帳義務はさらに厳しくなりました。

原料購入から始まり、それを使っての発酵生産、出来上がった酒類の数量、貯蔵中の減少(蒸発)、充填包装時の減耗など、ありとあらゆる記録を取っておくわけです。

 

数年に一度は国税局による酒税検査というものがあり、その時には会社を挙げての対応に追われたものでした。

 

酒税の事務というものは、すべて酒税法とそれに関連する施行令、施行規則などに書いてあると考えられるかもしれませんが、そういうものではなく、実際の運営は税務署に一々聞かなければ分からないということが常でした。

そのため、税務署に何か問い合わせる際は必ず記録係を置いてあちらの言うことをそのまま記録するということもやっていました。何しろ文書ではくれないもので。

 

私のやっていた品質管理業務での酒税との関わりでは、毎日実施する「利き酒」(味見)用のサンプルの問題がありました。

一回に数百mlといった程度の量ですが塵も積もれば山となるです。

その記帳がなかなか揃わずに苦労したものでした。

他の会社では、その分は「課税」してしまい処理するという話も聞きました。そうすれば幾分かは楽になるようです。

 

会社では酒税事務というものをなかなか整理することができず、昔からの申し送りで決めたというようなやり方が残っていました。

そのため曖昧な点が多く問題も発生しましたので、その頃に酒税に関して勉強し直し「酒税事務マニュアル」のようなものを作り直そうということになりました。

 

その仕事も一番暇そうな私のところで担当するということになり、苦労しながら作ったものです。

しかし、その職場を離れてしばらくしてから、まだ勤務していた後輩に聞いた所「マニュアルまだ使っています」と言われ非常に嬉しく思ったものでした。

 

「くらべる時代」おかべたかし文、山出高士写真

以前に「くらべる東西」という本を読みましたが、その同じメンバーで今度は「昭和と平成」の比較です。

 

平成もすでに29年になりましたが、まだ人生の半分以上は昭和という私にとっては、昭和の風景というものは子供時代、青春時代、新婚時代のすべてを含むものです。

 

本書は、昭和らしいもの、平成らしいものを食品、日用品に留まらず特色を活かした写真で示しています。

 

なお、昭和といっても当時に撮った写真ではなく、現在に残っているものを撮影したものだそうです。

 

 

「屋上」という写真では、デパート等の屋上に設けられている施設を載せてあります。

昭和では何と言っても遊園地でしょう。

私の子供の頃から、そして平成に入ってもしばらくはデパートの屋上遊園地というのは楽しいものでしたが、今ではすっかり少なくなってしまいました。

現在の典型的な例は植物を植えた緑地だそうです。それも悪くはないけれど。

なお、写真に撮影された屋上の観覧車は、東京鎌田の東急プラザ「かまたえん」だそうで、3年前に営業休止をすることになったのですが、存続を望む多くの声でリニューアルオープンしたそうです。

 

「カメラ」では、なんといっても昭和はフィルム、平成はデジタルです。

出来上がりの写真の特性はフィルムかデジタルかの違いというよりは、その他の機能の変化によるものが多いそうで、一概に「フィルムだからどうの」とは言えないそうです。

しかし、カメラマンの山出さんが久しぶりにフィルムを使って驚いたのが「1本1350円」という値段と「現像に仕上がりまで2日間」かかると言われたことだそうです。

かつては値段も半額程度、現像は2時間で仕上がっていました。

 

「公園遊具」、かつては回転遊具が全盛でした。どこにでもあったのですが、事故が起こることから避けられるようになりました。現在ではぶら下がり器具などの「健康遊具」というものが多いそうです。

なお、どこにでもあったのがコンクリート製の滑り台を中心とした遊具で、それによって「タコ公園」とか「かいじゅう公園」と呼ばれていたそうです。

そう言えば、うちも子供の小さい頃にタコ公園とか汽車公園とか行きました。

 

「寿司の変化」昭和の寿司はシャリが大きかったそうです。そして、1人前は握り6カンと巻物というのが普通だったとか。

それが平成でも近頃はシャリが小さくなり、ネタの種類が増え、10カンが1人前というのが普通になったそうです。

 

くらべる時代 昭和と平成

くらべる時代 昭和と平成

 

天皇退位も決まりそうで、 近々平成も終わりになるでしょうが、そうなると平成を懐かしむという本も出るんでしょうね。