爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「日本史の一級史料」山本博文著

著者は東京大学史料編纂所教授で、近代史を専門に史料を丹念に掘り起こし研究を重ね、著書も数多く出版されています。

 

「一級史料」といってもどれが一級か二級かという定義もないのですが、しかし、これまでの歴史通説に変更を加えさせたという史料は確かに「一級」といっても差し支えないものでしょう。

 

この本は著者がこれまでの歴史研究の中で出会ったそういた「一級史料」を紹介するために書いたということです。

 

「一級史料」というのはあくまでも主観に基づく価値観ですが、「一次史料」というのは決まっています。

書かれている事柄の当事者やそれに近い人が実際の見聞きしたものを自ら書き残したものといえば良いのでしょうか。

こういったものは、日記などの記録として残っているものが多いようです。

 

宮本武蔵といえば数々の挿話が知られており、映画やドラマにも何度も取り上げられている歴史上の有名人ですが、実は確実な「一次史料」というものはほとんど残っていません。

武蔵の養子の宮本伊織が福岡県小倉に建てた石碑と、武蔵の著書とされる「五輪書」の一部だけです。

ただし、これらも「一次」とは言えずせいぜい「良質な二次史料」程度のものです。

 

その一方、忠臣蔵として知られる赤穂事件については、それに関する一次史料が豊富に残されています。

これは、事件発生当時から世間の注目を集めるものであったために、周囲の関係者もその記録を書き残すことが多かったためです。

ただし、内匠頭切腹の際の状況や辞世の句を書き残した、幕府目付の多門伝八郎という人が残したものは、書かれた日時が切腹直後でなく浪士たちが討ち入りを果たした後であるということで、内容が真実そのものかどうか疑問が生じる点があるそうです。

 

東京大学史料編纂所というところは、寛政時代に幕府の和学講談所として開設されたという、日本一古い歴史を持つ史料研究所ですが、それでもそこに収められた史料だけを研究するのではなく、広く全国に史料探索の活動を常に実施されているそうです。

 

著者もずっと毎年各地に史料探索に出かけたのですが、その中で超一級と言えるものが、江戸時代の萩藩関係の史料の「毛利家文庫」のうち、江戸時代初期の留守居役福間彦右衛門の日記、「公儀所日乗」というものだそうです。

これで、三代将軍家光の時代の幕府と大藩の関係がかつてないほどの密度で研究できるようになったということです。

 

また、薩摩の島津藩も様々な文書を保存していました。

その中に、文政2年に薩摩藩大御隠居の島津重豪江戸城に登城し、将軍家斉に拝謁した時の「将軍の言葉」が残されていたそうです。

重豪は当時79歳、ですが藩主島津斉興の後見を勤めており、さらに将軍家斉の岳父にも当たるという重要人物でした。

その場で、家斉からねぎらいの言葉をかけられたのですが、老人でもありその言葉が上手く聞き取れなかったそうです。

そこで、老中に「無理を承知で頂いた言葉を書付にしてくれ」と申し入れ、老中も仕方ないかと将軍に許可を取り、そこで前代未聞の「将軍の言葉の書付」が渡されたとか。

 

いや、歴史と言うものは本当に面白いものです。

 

日本史の一級史料 (光文社新書)

日本史の一級史料 (光文社新書)