爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

新元号続報

テレビの今日の番組はほとんどこの話題ばかりだったので、他に見るものもなく仕方なかったのですが、町の人々のインタビューは「すばらしい」の一点張り。

そんなに好印象のはずがないとは思うのですが、まあネガティブのものは編集で全部カットしたのでしょう。

 

さて、その出典が万葉集の歌ではなく地の部分の文からということですが、歌は万葉仮名という漢字の読みを使いやまとことばの読みに応用している部分もあるものの、地の文は漢文であったはずです。

しかも、この梅の花について書かれている部分は中国の書物「文選」から引用されているとか。

https://www.buzzfeed.com/jp/keiyoshikawa/reiwa-mouzen-manyou

 

あまり、「我が国の文書から初めて」といばるほどのものではないようにも感じます。

 

ま、いくら嫌でも使わなければならないのが今の日本ですが、心の中では「文明崩壊」と唱えながら令和と書くことにしましょう。

 

なお、万葉集のその部分は次のように読み下されています。

 時に、初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す。加之(しかのみにあらず)、曙(あけぼの)の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きにがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結び、鳥はうすものに封(こ)めらえて林に迷(まと)ふ。庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。

 もちろん原文は漢字だけです。

この最初の部分の「令月」の令と、次の「風和らぎ」の和をつなげたのですが、ここでなぜその二文字だったのかと言う問題があります。

この中から選ぶのであれば、意味の上からも淑と和を選ぶのが普通では。

令月と言う言葉のそれも上の文字を選ぶ意味が分かりません。

 

ますます、嫌気がさしてくる今日このごろになってしまいました。