今の若年層は「デジタル・ネイティブ」だなどと言う浮かれた言説が為されることがあります。
つまり、生まれた時からデジタル機器でネット接続が当たり前で、その環境からデジタルへの適合性が高く、プログラミングなども得意といったイメージでしょう。
しかし、本書著者によれば、そういった人材は皆無ではないとはいえ、ほとんどの若年層では学力は落ち続け、人間性も低下してしまう「デジタル馬鹿」としか言えないようなものになってしまっているということです。
なお、著者のデミュルジェ氏は認識神経科学者ということで、本書の文章を見ても自然科学者であることがありありと見える、つまり正確無比であるのは間違いないが分かりづらく冗長だと言えるものです。
多少の正確度の低下はあっても似たような事例はまとめて頂けた方が良いのですが。
デジタル推進論者の科学者たちも多数存在し、いずれも科学的なように見える実験などを行って結果を公表しています。
それらを喜んで取り上げる関係者も多く、バラ色の将来のように見せていますが、その実そういった実験系自体かなり怪しいもので恣意的な設定とデータ処理によって作り上げています。
ネット、デジタルといってもさまざまな面があり、ネットゲーム、SNS、ネットニュース、動画、テレビ映画、音楽などなど千差万別ですが、本書ではそれらの多少の差には目をつぶりまとめて「画面」としています。
そこで「画面は成績を上げるか」といった章題になっているのですが、そこでの画面が特に何かを指すということではないようです。
印象的なのは次の指摘です。
ネット接続を可能にしようと学生生徒にタブレットやスマホを持たせても、そのほとんどが使うのはゲーム。
まあだいたいそんなものでしょう。(日本だけではない)
さらにコロナ禍の影響もあり各国で広がったネット授業も。
致し方ない点はありましたが、対面授業に代わりネット授業が世界中で広まりました。
しかし、それ以前から検討されていたそのようなネット授業の欠点が拡大しただけでした。
実はコロナに関係なく、ヨーロッパ諸国では「教員の削減」のためにこういったネット授業の拡大が画策されていました。
そのため、できるだけ有利な結果を出そうとした者もいたのですが、結局は失敗したそうです。
ゲーム擁護論者が挙げるものに「ゲームに集中することで注意力や集中力が高まる」というものがあります。
ゲームの種類によっても違いそうですが、ほとんどのゲームでは注意力は分散する方向に誘導されています。
さらにゲーム機器には時々割り込みで着信表示があったりして、さらに集中力はそがれるようです。
結局、著者が薦めるのは「6歳以下には画面を見せるな」「6歳以上でも1時間程度」
といった、かなり厳しい条件でした。