なかなか骨のある文を書く方とお見受けする佐藤さんですが、高校生などに講演をするという活動もされているようです。
そこから発展し、現役高校生に「光の子と闇の子」というラインホールド・ニーバーの書いた本を読ませるという集中講義をやったという記録がこの本になりました。
あまり知られていませんが、ニーバーは現在のアメリカ政治にもっとも影響を与えていると言われる政治学者です。(本当はプロテスタント神学者)
高校生の読む文としてはかなり程度が高いものですが、それを歴史的な解説も加えて理解させようというものです。
そこには、現在の民主主義が危機的状況にあるということを、若い人に早く理解してもらうという目的の他に、受験勉強ばかりで「教養力」が欠損しがちな高校生にそれを目指すきっかけとなってほしい、そしてこの文章を原書でも読むことで高いレベルの英語力をつけたいという動機を持たせたいという佐藤さんの思惑がありました。
対象となる高校は、埼玉県立川口北高校、校長・教頭が佐藤さんと同窓と言う縁があり決まりました。
埼玉県内でもかなり高い実力を持った高校生が集まる学校と言うことです。
それでも、この講義の内容はかなりハイレベルのものと考えられます。
そのようなものに完全に理解はできなくても触れてショックを受けるということが、今後の高校生たちの向学心を高める効果は強いものでしょう。
本書表現は多少の整理はされているかもしれませんが、講義の中で話されていたように書かれています。
そこかしこに、生徒たちの気持ちに刺激を与えるような巧みな表現が見られています。
これが本当にすべて口から出た言葉通りなら、佐藤さんは相当な弁舌力でしょう。
そうかもしれませんし、そうでないかもしれませんが。
「光の子、闇の子」という本は、1944年にニーバーによって書かれたものです。
実に2016年にも新たな邦訳の新版が発行されたそうで、非常に長い寿命を持っています。
アメリカの歴代大統領もニーバーの本に言及することが多かったということで、オバマ、ブッシュ、ケネディ、ニクソンなども皆ニーバーの意見を引用していたそうです。
(ただし、トランプは一度も言及していない)
にもかかわらず、日本ではほとんど注目を集めることはありません。
日本がアメリカを本当には理解できていないのは、ニーバーを知らないからという面もあるのかもしれません。
「光の子」とは神に従う者、「闇の子」とは神に反抗する者のことを指します。
1944年当時では、民主主義が光の子、ナチスドイツは闇の子でした。
そこに至るまで、民主主義や資本主義、共産主義など様々な社会の在り方や思想などが展開されていきます。
これから先も、丸4日間かけて佐藤さんと川口北高の生徒たちがこの本をすべて読んでいくのですが、その先は略します。
興味深い点をいくつか。
もっとも闇の子と言うにふさわしいナチスドイツですが、彼らは非常に健康志向が強いものでした。
ただし、その裏には「健康でないものは社会に必要でない」という思想が隠れています。
ユダヤ人虐殺は有名ですが、ナチスは障害者も多数虐殺しています。
2016年に神奈川の障害者施設「やまゆり園」で入居者を多数殺害するという事件が発生しました。
あれもナチス思想とそっくりです。
現在、「生涯現役」という言葉をよく聞きますが、これもナチス思想です。
社会の労働に貢献できなくなった人には生きている価値がないということです。
禁煙、健康診断、胚芽入りパンを食べる、無着色バターを食べるといった健康志向もナチスが始めたものでした。
代議制民主制は、普段は政治を意識しない民衆が選挙の時だけ投票に関わり、あとはプロの政治家に任せるということになります。
経済情勢がよい時はこれでうまく収まりますが、悪くなると民衆の不満が頻出します。
政治が国民の期待に応えられなくなると、デモが頻発するようになります。
こういった状況をナチスは利用しました。
労働者のデモがある時には、「すべての人は働くべきだ」とナチスは唱えて金持ちの味方のように振る舞いました。
そうして共産党を弾圧すると、次には金持ちのユダヤ人の富を奪おうと今度は労働者を味方につけて反ユダヤ主義を広めました。
これは、ナチスの正式名称を見ても分かります。
「ドイツ国家社会主義労働者党」というのがそれですが、名前に全部入っているような、ギリシア神話のキマイラのようなグロテスクな化け物でした。
その時々で都合よく主義まで変えてしまいました。
反知性主義者が怖いのは、「知性がない」のではなく「知性を憎んでいる」からです。
この状況に対し、ニーバーは暴力には暴力で応えるとしていました。
平和主義者ではないところが、アメリカ歴代大統領の心を捉えたのかもしれません。
このような高度な授業を、高校生で受けられた生徒たちは非常に幸福と言わざるを得ません。
彼らの心の中に大きなものが残ったことでしょう。