本書の初版の出版は1974年、まだ石油ショック前で高度経済成長の最終期とも言える時期です。
その時代にこのような環境重視の提言を行うことができたということには驚きです。
著者の富山さんは記者から始めて主に都市問題を扱ってきたということですが、この本では日本の水と緑と土、つまり河川の森林、土壌について考察しています。
そしてそれを特に壊し放題にしてしまったのが高度経済成長期でした。
この本で糾弾しているのも、高い堤防で囲い込んでただただ水を速く海まで流しだそうという治水事業(ことごとく失敗しひどい水害を引き起こしている)、皆伐という愚行を繰り返しはげ山ばかりにして森林が失われるばかりでなくそれで保水性を失い土崩れを引き起こして災害を産み出している林業政策、農業生産を支えているという意識もないまま土壌を流出させる農業政策です。
ただし、もう50年以上も前の知識ですので、現在の理論とは少し違いもあり、例えば森林の雨水の保水性をかなり高く見積もっていますが、それほどは無いというように変化はしていますが、それでも本書の主張の多くは現在でも十分に通用するものと思います。
そして、当時よりさらに水・緑・土をないがしろにしているのが現在の日本なのでしょう。
河川の両側に高い堤防を連続して建設し洪水を防ごうという方針を高水工事というそうです。
これは明治29年の河川法制定で取られた政策でそれ以降日本の河川政策の基本となってきました。
それ以前の政策を低水工事と呼び、これは河川の水を農業用水として確保するとともに、下流部における舟運を重要視したものでした。
そこでは堤防を築くことで洪水を防ぐのではなく、霞提、乗り越え堤といった低い堤防で洪水の場合は遊水地に水を逃がして洪水の力を弱めることを目指しました。
流れを弱めるように誘導したのですが、これは高水工事において水をできるだけ速く海に流してしまうという姿勢とは全く違います。
降雨量の違いもあるかもしれませんが、高水工事が始まってからの方が洪水被害が大きくなったようです。
洪水を恐れて高堤防化した一方で、都市部での水需要が非常に大きくなり水不足問題が大きくなったのもこの時期でした。
そのため大河川の上流部に大きなダムを作るといったことが続きました。
下流部の河川での水の供給源をつぶし、排水も土に返さずに捨てておきながら、上流の自然をつぶしてダムとしたわけです。
しかし日本のダムは土砂の流入量が非常に多いために作ったダムもすぐに貯水量が減少し役に立たなくなっていきます。
日本の林業というものは戦後になり海外から安い木材輸入が増加することで衰退しました。
日本の森林の3分の2は民有林ですが、そのほとんどは小規模で農家の傍ら裏山の木を切るといった零細なものです。
こうした中、国有林だけは外部経済に左右されることなく健全な運営がされ得るものだったはずですが、国有林運営は林野庁による独立採算制が取られたためにその運営費を儲けるための木材切りだしということが行われました。
そこでは徹底した合理化が行われ、かつては大木のみを伐採し谷に落として水流で流すというものだったのが、全ての木を伐りだし大規模林道を建設してそこで運び出すということになってしまいました。
トラクターでの伐採やエンジン付きのワイヤーロープによる搬出などの技術が使われ、見る見る間に国有林の多くがはげ山とされてしまいました。
水・緑・土の収奪というのが経済成長だったのですが、これはすべて都市化ということと関わります。
地方を捨てて都会だけにしてきたのが近代日本だったということなのでしょう。
なかなか格調高く、日本の環境問題を的確に指摘したものだと感じました。
この本の存在も知らずにいたのが少し恥ずかしくなります。