爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「脱毛の歴史」レベッカ・M・ハージグ著

現代のアメリカでは体毛は忌み嫌われているかのようで、頭髪以外の毛というものは存在を許されないかのようです。(男性のヒゲは除く?)

しかしこういった風潮はずっと続いていたわけではなく、様々な歴史的変遷があったようです。

 

アメリカにやってきたヨーロッパ出身者たちは原住民、いわゆるインディアンたちと交流し戦いながら勢力を伸ばしていったのですが、インディアンの風習として体毛を除去する(毛根から抜く)というものを見て驚きました。

男でも女でも暇さえあれば毛をつまんで引き抜いていたのです。

彼らはそれを未開人の野蛮な行為だとみなしました。

 

しかしそのすぐ後には自分たちが体毛の除去に励むこととなります。

18世紀の人々は体毛のない肌への執着は先住民のみの特異なものと考えていましたが、その後女性の目に見える体毛は衛生観念の欠如の表れで汚らわしく有害だとされるようになりました。

19世紀にはひげのある女性、体毛の濃い人々は見世物小屋の看板ともなっていました。

20世紀には体毛のない手足というものの重要性が強調されるような脱毛剤の広告などが目立つようになります。

 

ただし、その頃はまだカミソリというものが非常に危険なものであり、とても普段から使えるようなものではありませんでした。

まだ安全カミソリなるものも発明されず、小刀のような剝き出しの刃でしかも現代のような効果的なシェービングクリームもなく、下手すると血だらけになるようなものでした。

しかしその代替として流行っていたのは怪しげな化学薬品で脱毛どころか皮膚の損傷になるものも多かったようです。

 

キング・キャンプ・ジレットが考案し1903年に発売したT字型の安全カミソリというものは急激に普及しました。

ただし、やはりそれは最初は男性の髭剃り用としてのものという印象が強く、それを女性が使うということには抵抗があったようです。(夫のカミソリを妻が隠れて使う)

 

X線を照射する脱毛サロンというものも流行りました。

それ以前にあった、電気を使ったニードル除毛という脱毛法は非常に手間がかかり実施者の技術も必要だったのですが、X線は高い装置さえ備えれば楽にできたようです。

ただし、1910年代になると放射線被爆の危険性が医者たちの間では広まりましたが、世間では変わらずに一般向けのX線脱毛サロンが開業し続けました。

原爆投下を伝え聞いたこともその終焉に作用したようです。

 

男性ホルモンの過多が多毛につながると考え、その生産をしている腺の外科的除去といった方向にも進んでしまいました。

しかしそういったことの身体的な影響が当然ながら多発し、美容的目的としては制限されることになります。

 

今でもあちこちで行われているのが、ブラジリアン・ワックス法というものとレーザー除毛です。

ワックス除毛は一回で済むものではなく定期的にやらねばならず、またその痛みも激しいものですが、それに耐えて実施する人が多数です。

レーザーは実施者の技量が問題となり、うまい施術者には高額の料金を取るものもいますが、それを払ってでもやりたがる人がいます。

 

著者は女性学とジェンダー学の学際研究をやっているということですが、それでも脱毛という対象を研究するということについては周囲からあれこれ言われたということです。

やはりちょっと話しづらいものかもしれないのですが、それでも重要な対象なのかもしれません。

私自身は脱毛というよりは育毛の方が重要ですが。