ジェンダーという考え方が大きく取り扱われるようになっていますが、その先進地域と言える西洋でもその歴史をたどると今の像とは違うものが見えてきます。
ただし、本書は「はじめに」でも記されているように、そのようなジェンダー史を通史として見ていくというものではなく、西洋の歴史をジェンダーという視点から見るものだということです。
その構成は、「家族史」「女性史」「ジェンダー史」「身体史」「男性史」「新しい軍事史」「グローバル・ヒストリー」となっています。
これを見ただけでもおやと思うことがあり、なぜ男性史は女性史やジェンダー史より後なんだろうか、とか軍事史がジェンダーと何か関係があるのだろうかといったことが挙げられますが、それにも答えはあります。
男性史については、それまでの歴史は男性のことしか扱っていなかったけれど、それでもそれを男性史とは言えず、人類史としか考えられなかったものです。
しかし女性史という観点からの議論がされるようになり、その後になって初めて男性史という考え方が現れてきたとか。
また軍事についても生命の危険を冒して相手を殺しに行こうという兵士はやはりそこに男性としての性質(雄々しさ)をことさら強調しなければならなくなりました。
とはいえ、近代以前の傭兵社会においては男性のふりをして傭兵となる女性もかなり居たようで、それはあくまでも経済的な理由でそれしか食べていく方法が無かったからということです。
とはいえ、それで何十年もバレずにいた女性もいたそうです。
「伝統的な家族像」などと言われますが、現在考えられているそれはさほど古い伝統があるものではありません。
夫が外で働き妻は家事・育児、子供は家族の中心となり教育を受けるといったものはせいぜい200年の歴史しかないようです。
それ以前は夫も妻も外へ出て働かなければ食べられないことが多く、さらに子供も働かされることが常でした。
日本でもそういった「伝統的家族」なんていうことを話す人(保守派)が居ますが、あくまでも限られた範囲だけで通用する事情だということは西洋も同じということなのでしょう。
ジェンダー史という言葉自体、よく聞かれるようになったのはアメリカなどでも1980年代以降になってからだったそうです。
アメリカの歴史家、ジョーン・W・スコットにより提唱されました。
それはフェミニズム的議論が起こったのよりは少し遅れており、フェミニズムや女性史を扱った学術誌でも徐々にジェンダー的概念を取り入れるようになったそうです。
なお、これは英語圏だけでなくドイツ語圏、フランス語圏にも波及していくのですが、ドイツ語では日本語と同じく、英語のgenderとsexの区別が無くGeschlechtという言葉が共通して使われているため、新たに言葉を作り出したそうです。
また、フランス語でもgenderに当たるgenre は他にも「種類、流儀、振る舞い、ジャンル」などを表わす言葉のため、ジェンダー論自体がなかなか広まらなかったようです。
言語による学問の差というのは無いようで結構影響するもののようです。
男性史の中で出てくるエピソードで興味深いのがカストラートです。
男性を変声期前に去勢してしまい、女性のような声で歌うことができるカストラートという存在は古代からあったようですが、キリスト教で女性が歌うことが避けられたために男性でありながら女性の声が出せるということで大きく広まり16世紀頃には全盛期を迎えます。
ローマ・カトリックの教会での聖歌もカストラートが占めるようになります。
しかし18世紀になり近代的なジェンダー秩序社会が形成されるようになると不自然な手術により身体を傷つける行為自体が忌避されるようになります。
それと共に女性が歌うということが認められるようになり、オペラの舞台にも立つようになります。
カストラートは辛うじてカトリック教会の中でのみ生き続けますが20世紀になるとその伝統にも終止符が打たれます。
単なる「女性史」とは異なり、男性史も含めたジェンダー史というものは人間の歴史そのものを語るものかもしれません。