爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「百人一首で読み解く平安時代」吉海直人著

競技カルタの人気も根強く、百人一首を一般教養として見る風潮もあります。

しかしそれをまともに研究対象とすることはあまりなく、著者も文学者として百人一首を対象として取り上げることに対しては周囲からいろいろと批判をされてきたそうです。

それでもこれは調査し考察するには十分に骨のあるものであると信じ、長年研究を続けてきたそうです。

そんな著者が、百人一首入門者から少し読み進んできた人向けに「ややレベルの高い入門書」として本書を書きました。

 

平安時代から鎌倉時代にかけて、多くの人々により様々な和歌を集めた秀歌撰(アンソロジー)というべきものが作られました。

百人一首もその一つであるというのが従来の感覚ですが、実際には単なる秀歌撰とは違うということを忘れるわけにはいきません。

 

そう言ってしまうには多くの疑問点があります。

1,一流歌人とは思えない作者が複数含まれている。

2,作者の疑わしい歌が複数含まれている。

3,作者の代表歌として疑わしい歌が少なからず撰ばれている

そして、それ以前の代表的な秀歌撰、公任の「三十六人撰」、俊成の「古三十六人歌合」、後鳥羽院の「時代不同歌合」と比べるとその違いが明確になります。

1,他の秀歌撰が人麿を一番に据えているのに対し、百人一首では天智天皇を据えている。

2,他の秀歌撰が左右歌合形式なのに対して、百人一首は時代順に並べている。

3,他の秀歌撰が一人三首以上であるのに対し、百人一首は一人一首である。

 

どうやら百人一首は単なる秀歌撰ではなく選者である藤原定家がその平安朝貴族社会がすでに失われてしまったということについての憧憬と貴族文化の優位性の誇示をしたというのが著者の主張です。

それこそが定家の文学営為だということです。

 

その後、百首すべてについて、その解説だけでなくどこに疑問点があるのか、定家の意図がどこにあるのかといったことが述べられていきます。

 

喜撰法師の「わが庵は都のたつみ」は分かりやすく有名な歌ですが、喜撰法師という人がどういった経歴かなどほとんど不明です。

紀貫之古今集の仮名序において、喜撰法師を独断で六歌仙に指名したことにより名が知られるようになりました。

しかし公任や俊成の秀歌撰では全く選ばれていません。

それにもかかわらず定家は自分の他の秀歌撰にも選んでいることから、定家の独自性を見ることができます。

 

光孝天皇は「君がため春の野にいでて」の歌が取られています。

この歌は必ずしも秀歌と言えるものではないのですが、なぜ定家が選んだか。

光孝天皇は傍流の親王として50代まで日陰の身の上でしたが、陽成院が急に譲位したために皇位が舞い込んできました。

その裏には藤原基経の強力な後押しがありました。

その陰にはこの歌を詠むような人柄だということが基経に気に入られたということがあったという説があります。

そういった光孝天皇の人生史を象徴するような歌だということで定家が選んだという読みです。

 

菅原道真の歌は「このたびは幣もとりあえず手向山」が選ばれています。

藤原公任は道真の歌では「東風吹かば匂い起こせよ梅の花」の方を代表歌としていました。

しかし「このたびは」の歌はその表現が道真の得意な漢詩から来た発想であり道真をよく表現するものと見たのでしょう。

なお、百人一首では作者の表記を「菅家」としてありますが、通常は「菅原朝臣」とか「菅贈太政大臣」といった官職で表すのですが、「菅家」としたのは平安末期以降の天神信仰から来たもののようです。

この歌が百人一首に撰ばれたのは、定家の紅葉好み、小倉山荘だからといったことだけでなく、道真の人生史の象徴としてもっともふさわしいと考えられたのでしょう。

 

三条右大臣(藤原実方)の「名にしおはば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな」については古来文法上の無理解から歌の意味も間違えていた人が多かったということです。

「来る」という言葉が使われていますが、これを「女が男の家に来る」と間違えて解釈していた人が多かったということです。

契沖ですら、「来る」を理解せずに苦しい解釈をしていました。

これは古語の「来る」は現代語と異なり自己中心的な見方ではなく自分が相手方に心理的空間的に近づくことを指すということから来ているというのことです。

この点について、おそらく著者もご存じないのでしょうが、肥後方言では現在でも「来る」は相手方に行くことを示しています。

電話をして「今からそっちに来るけんね」という用法は普通に見られます。