馬場あき子さんは短歌結社「かりん」の主宰者で、歌集も多く、また歌人についての著書も出版されているということです。
そのような短歌の専門家が、百人一首を解説するとどうなるか。
まあかなり詳しく記述されていますが、その書きぶりは冷静で中庸といった風に見えます。
私は百人一首というのは子どもの頃からゲームとしては楽しんでいましたが、さほど詳しく内容を考えたということもなく、そもそもその歌人が実際はどういう人物かということにもほとんど関心は持っていませんでした。
さすがに「鎌倉右大臣」が源実朝であるということくらいは知ってはいましたが、他の多くの歌人の実名も知らず、この本の人物紹介で初めて知ったこともありました。
その歌人はいったい誰なのか。
女性の場合は当時の慣習として本名はほぼ不明であり、親や夫の官職や仕えていた人の呼び名を使ったということです。
また男性の場合も特に偉い人の場合は名前を記さないということですので、これも聞かなければ分かりません。
謙徳公は藤原伊尹、右大臣師輔の子で冷泉天皇女御の懐子の父であり摂政太政大臣となった。
法性寺入道前関白太政大臣、肩書だけで名前がないが、藤原忠通、保元の乱の勝者だたその後隠棲し詩歌に専念するようになった。
等々ということです。
出家の歌も数多く収められていますが、それもかなり位の高い人は高位の貴族出身ということが多かったようです。
前大僧正行尊は、藤原道長によって皇太子を降ろされた小一条院の皇子で賜姓源氏となった基平。
前大僧正慈円は、関白兼実の弟で天台座主を4回も勤めたという人。
といった具合です。
もちろん、高位の人ばかりでなく、詩歌の道に精進することで名を挙げた人も多く、位階はほとんど進まなくとも名と詩だけが残っているという人もいます。
私が最初に上の句と下の句を覚えたのが「むらさめ」の詩であり、もちろん「む」の字で始まるのはこれだけだからですが、これの作者が寂蓮法師。
この人は藤原俊成の兄弟である俊海の息子で一時は俊成の養子となっていたものの、定家が生まれたので身を引いて出家したのだそうです。
いやはや、知らないことばかりでした。