爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「百人一首解剖図鑑」谷知子著

最近は百人一首のかるた大会が競技としても人気を集めていますが、やはり百人の歌人たちの生涯やその歌を作ったいきさつ、歌の細かい解釈や中味といったものを知っていくのも興味深いことでしょう。

 

この本では歌の意味、作者の家系、生涯といった様々な方向からの知識が若い人向けの漫画のような絵と共に描かれ、百人一首とその作者たちについて多くの知見が得られるようになっています。

なお想定される読者としてはほぼ若い人限定のようで、字が非常に細かいのは中高年の読者を考えていないのでしょうか。

 

それはさておき、そういった細かい点までの知識というものは私も持っていなかったようで、この本で初めて知ったということもいくつもありました。

特に女性歌人の家系ということはあまり知らず、その名前も通称がほとんどだったために盲点になっていることかもしれません。

巻末には歌人たちの家系を天皇家系と藤原氏系にまとめてありますが、ほとんどの歌人はこのどちらかに属していますので、一目で見て取れるものとなっています。

 

和歌には名所を引いて歌を詠む「歌枕」というものがあります。

京都近辺のものも多いのですが、その他の全国各地の場所もあり、実際にその名所を見たことのある人はほとんどいなかったのでしょうが、その場所がどういった意味を持つかということは共通概念として当時の歌人たちに持たれていたようです。

百人一首にも歌われている歌枕の地としては、京都周辺では小倉山、宇治、逢坂、大江山などがあり、地方の名所では、末の松山、男女川、雄島(松島)、田子の浦などがあります。

当時の人がどういった場所を名所として好んだのかということも見えてきそうです。

 

「あひみてののちのこころにくらぶれば」の歌を作った権中納言敦忠は藤原時平の息子ですが、母方の曽祖父が在原業平という、プレーボーイの血筋だったようです。

何人もの女性と交際をしていますが、父の時平が菅原道真の祟りで夭折、敦忠も38歳で亡くなりました。

男性ばかりでなく女性にも数多くの恋をしたという人が多かったようで、その後の道徳観とはかなり異なっていたようです。

 

紫式部藤原道長の娘の中宮彰子に女房として仕えていたということは知っていましたが、和泉式部も同様に彰子に仕えていたというのは知りませんでした。

紫式部の娘が大弐三位和泉式部の娘が小式部内侍、いずれも百人一首の作者となっています。

彰子と同様に一条天皇中宮であった藤原道隆の娘の定子に仕えたのが清少納言、その娘の小馬命婦百人一首には選ばれていませんが歌人で女房として中宮彰子に仕えていたそうです。

なんか、ごちゃごちゃしてきました。

 

時代別に分けて書かれていますが、藤原氏全盛の摂関政治時代は華やかですが、鎌倉時代歌人になると急に寂しいものとなります。

歌も寂しさが出るのですが、その人生も幕府に圧倒されて厳しいものだった人が多いのでしょう。