爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「進化が同性愛を用意した」坂口菊恵著

LGBTなどと言って同性愛者などを認める動きが強まっていますが、これはあくまでも人間の多様性を許容し人権を守るということから出てきたことでしょう。

しかし、どうやら同性愛というものは広く生物の中には分布しているもののようです。

 

そういった観点から同性愛などについて考察されている本ですが、非常に範囲は広くいろいろな生物での動物行動学から、人類学、心理学といったかなり高度なものが次々と出てきます。

 

「はじめに」で書かれていることもなかなか理解しづらいもののようです。

「性的マイノリティの存在は、遺伝子が自らを効率よく拡散させるために固体の行動を操作するはず、という前提に反するように見えるパラドックスだった」

つまり、子孫繁栄のために性行動をするということが生物としての本性であるなら同性愛などというものは存在するはずはないのですが、人間だけでなく動物にも広く同性愛が存在するということが分かってくるとその理由が問題となってきます。

 

このあたりの点について、実は「異性愛が普通で正常である」という教義が非常に強まったのが近世のヨーロッパ世界であり、それの影響を強く受けている現代の科学界でもそこから抜け出せないということも作用しているようです。

 

どうやら、これまで当然と思い込んでいた「性の二分法」というものが普遍的なものではないということも明らかになってくるかもしれません。

 

同性愛、といっても動物では精神的なことは分かりませんが、同性間性行動というものは多くの動物で観察されます。

ボノボニホンザル、ゴリラ、イルカ、ゾウ、バイソン、哺乳類だけでなく、カモメ、トンボ、カニイカ、線虫に至るまで、生物を観察していると同性間での性行動が数多く見られます。

 

これは動物の行動様式を考えると当然ともいえることのようで、常に一夫一婦制で暮らす生物というのはごくわずかしかいません。

一夫多妻制、乱婚制の動物種では生殖のための性行動より同性間の性行動の方が普通です。

さらに一夫一婦制といっても繁殖期だけ一緒になり、その他の時期には同性同士のグループで過ごす種も多いのですが、その間には同性間性行動が見られます。

これはどうやら、性行動を繁殖のためではなく、コミュニケーションの一つとして行っているからのようです。

 

人類社会でも同性間性行動を禁忌としたのはごく限られた時代と場所だけであったようです。

古代ギリシャやローマでは同性愛も異性愛も普遍的でした。

皇帝ネロは3回結婚したのですが、そのうち2回は花嫁として、1回は花婿としてだったそうです。

キリスト教社会となっても同性愛をすぐに禁止したわけではなさそうです。

キリスト教聖職者としては男女間の姦淫ということが罪と見なされ、まだ同性間の方が

罪が軽いとみなされました。

しかしヨーロッパでは1250年から1300年の間に急速に同性愛への非寛容化が生じました。

この理由は明らかではないのですが、十字軍が盛んになりイスラム世界との緊張が高まり、当時は同性愛が非常に盛んだったイスラム社会に対抗してそれを禁ずる方向に走ったのかもしれません。

それが強化されてヨーロッパ社会は近代を迎えました。

日本では戦国時代までは同性愛は武士社会では普通のことだったのですが、江戸時代になり少し下火、そして明治の文明開化でヨーロッパ社会に触れることで息を止められました。

 

どうやら、同性愛というか両性愛というのが通常の状態であるいうことのようです。