「差別」をする人は悪人で普通の人ではないといったイメージがあるとしたら、どうやら大きな間違いをするようです。
自分では差別などはしないと思っていても、気が付かないところに差別意識というものが隠れているといったことはありそうです。
本書は韓国の大学教授で様々な人権問題を研究しているキム・ジヘさんが書いたもので、韓国の状況を主に取り上げているのですが、その内容は日本とも共通するところが多いようで、読んでいるうちに日本のことかと感じていた場面もありました。
本書冒頭は著者でも気が付かないまま差別となる言葉を使ってしまったという事例から始まります。
「決定障害」という言葉を聞いた著者は、面白い言い方だと考え、ちょうど自分もそうだ(ただし、”なかなか物事の決断ができない”と言う意味で)と思ってある人権問題のシンポジウムで講演した際に使ってしまいました。
しかし、その聴衆の中に実際に「決定障害」という障害を持つ人がいて、その人から「なぜその言葉を使ったのか」と問われて初めてそれが差別につながる行為だったということに気付いたということです。
このように、多くの場面で自らは意識しないまま差別行為にあたる行為を行ってしまうということがありそうです。
ただし、このような「善良な差別行為」もあるにしても、多くは悪意や、悪意とまでは言わずともかなり確信的な考え(自らの社会感覚)で差別をしてしまう事例も多く、韓国でも移民や難民に対する排除、非正規雇用者の差別、女性差別といったものが頻発し、しかもそれを当然とする人が社会の強者を中心に多いという状況だそうです。
このあたり、日本を見るかのような描写が続きました。
同性愛者に対して差別を禁止するといった法律も強力な反発のためになかなか成立しないそうです。
これは韓国の場合はキリスト教徒の中でも保守的な人々が強く反対しているためであり、そこは日本とは違う点かもしれません。
平等にトイレを使えるかどうか、それも差別を考える上では重要なことでしょう。
ただし、これを実行するためにはトイレの設備の拡充が必要となり、突き詰めていけばトイレをいくつにも分けなければならず大変なことです。
男女一緒というのはさすがに無くなっていきました。
しかし女性用トイレが少ないという施設はまだかなりありそうです。
障害者用のトイレは別に作るということも広まってきました。
しかし障害者用トイレを男女別に作るというところまでは中々行き渡りません。
アメリカのかつての状況ではそれがさらに黒人用を別にするということになっていました。
それが間違いだとはその時には分からなかったようです。
韓国では「差別禁止法」というものを制定しようという動きがあるのですが、それに対して多くの反対者が出ていて進まない状況だそうです。
とはいえ、それだけでも動き出している以上は日本よりは進んでいるのでしょうか。
日本ではあまり報道されていないことですが、2018年に韓国の済州島にイエメン難民がやってこようとしたとき、地元住民が性犯罪の危険性やその他の治安悪化を理由に拒絶したという事件があったそうです。
その他にも韓国にも多くの外国人労働者がやってきていますが、彼らを入れようとしない商店、サウナ施設などが多いようです。
その理由は「他の客が嫌がるから」というものですが、それは誰の差別意識から来るのか。
こういった背景下で難民認定制度の廃止を求める訴えに多くの人が賛同署名をしました。
まあ初めから難民を認めようとしない日本とは比べられないかもしれませんが。
セクシャル・マイノリティをめぐる意見の対立も韓国でも広く起きているようです。
文在寅元大統領も大統領選挙候補者時代に「私は同性愛者が好きではない」と発言して問題となったようです。
これは、個人の趣味の問題でありそういった意見を持つのも自由だという考えもありますが、「権力者」がそれを発言するというのは大きな意味があります。
会社の社長や、学校の教師が「嫌い」と発言したら社員や学生でそれに当てはまる人には大きな圧迫がかかります。
ましてや、国の大統領が「嫌い」と発言したら、いくら法律は守りますと言ったところでその行動が信じられるはずもありません。
これもまさに日本の現状を映しているかのようなものでした。
自分は差別はしていないと言えるのかどうか。
おそらくそれは無理でしょう。
しかし努力はしていきたいものです。