社会は変化し続けますが、それを捉えた言葉というものを見ていくと社会のある面を見ることになるのかもしれません。
この本ではそういった変わり続けていく社会を表す言葉を取り上げています。
ただし「最近10年の」としていますが、この本が出版されたのが2015年ですので、そこを遡る10年ということになります。
それからすでに9年たっていますので、もう本の内容とはコトバも社会も変わってしまったのでしょう。
そういった、ちょっと前の社会を表す言葉について、編著者のお二人をはじめ多くの社会学者たちが書いていきます。
LGBTという言葉が日本でかつてないほどメディアに登場するようになったのが、この本出版の2015年だったそうです。
それからますます拡大を続けているようですが、実体はどれほど進んでいるのでしょう。
この本での記述にもあるように、「LGBTが少数派目線のコトバではなく、商業主義的なラベリングに感じられてしまう」といった状況が今でも大きいのではないかと感じます。
「コミュ力」(コミュ”りょく”です、”コミュか”ではありません)
もちろん「コミュニケーション能力」を略した言葉ですが、日本人は4文字以上のコトバが使いにくいのでこうなってしまいました。
しかしそもそも「コミュニケーション」というのが何かということもはっきりとしていません。
それでも就活に当たって採用側では「コミュ力のある人を取りたい」と言い、就活生もそれに合わせるようなふるまいをするということにもなります。
社会や会社から若者に要請されるコミュニケーション能力ですが、若者側から見ればまた別のコミュニケーション能力があります。
学校や友人付き合いでは全力を尽くして何とかうまくやろうと立ち回っています。
そういったコミュニケーション能力は相手や場所、場合によって変わるため、測ることもできません。
いわば「正体のないもの」のようです。
それが下手な人が上達するためにはどうすればよいか、これも正体がない以上はよくわかりません。
結局はそういったよくわからないものに振り回されているだけなのかもしれません。
風評被害は「根拠のない否定的な評価が広まることで無関係な生産者などが経済的損失を被ること」です。
しかし、よくそう言われる場合に「根拠のない」わけではないことも多いようです。
1954年の第5福竜丸被爆事件で他の漁場のマグロなどが売れなくなったのは風評被害でしょうが、福島原発事故に関してはあまりにも東電や国のやり方が悪かったことが要因であることが多く、これを風評被害というのは間違いでしょう。
事故の隠蔽などが度重なれば人々が不信感を持ちそれが過剰かもしれない自己防衛行為となっている可能性は強いものです。
あくまでも詳しく正確な情報提供を行うことが必要であり、風評被害を防ぐなどといった言葉だけでは被害を拡大するだけです。