爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「悪意の心理学 悪口、嘘、ヘイト・スピーチ」岡本真一郎著

人と人のコミュニケーションの場で、悪意のこもっているということはよくあることです。

大きな問題となっているヘイトスピーチなどはそれが全面に出ているものでしょうが、いじめにつながる悪口、陰口、夫婦や家族の間でもふと忍び込み大きく成長する不信感など、日常的に目にし、自らも感じるものです。

悪意はなぜ生まれ、どう表現されるのか。

社会心理学言語心理学の立場から考察していきます。

 

なお、著者の岡本さんは社会心理学を専攻してこられた心理学者ですので、その語り口は厳密なもので学術的なものもはっきりとされていますが、少し一般から見ると分かりにくい表現も多いようです。

分かりやすくするために具体的な個人名を使ってよくあるような状況での言葉使いも例として挙げてありますが、それでも少し硬い感じはあるようです。

「正情報伝達、誤情報伝達、そして誤解はどこが異なるか。正情報伝達は真の事態Pを話し手が正しくPと認識してPとして伝える」と書いたすぐ後で、「体調が悪そうな寺田さんのことを上山さんが心配する。寺田さんが何ともありませんよと言うのに対し、上山さんが嘘を言っちゃだめですよ。という指摘はむしろ欺瞞者である寺田さんのためのものである」と実例を出されても、最初の硬い印象がなかなか抜けません。

 

本書はコミュニケーション全般の中で悪意の入り込む仕組みやその実情を表現していくということから、コミュニケーションの仕組み、うっかり口にすること、対人認知の偏り(偏見)、悪口・皮肉・からかいといった攻撃、セクハラやクレーマー、嘘を見破る、ヘイトスピーチといった章立てで説明されていきます。

自分がうっかり発言で窮地に立たされないようにするにはどうするかといったハウツーには利用できないかもしれませんが、そういった心理を理解しておけば失敗は少なくなるかもしれません。

 

実例として引かれていたもので、警察署長が部下の署員が殺人を犯し起訴された際の記者会見で不適当な発言を繰り返し批判されたということが紹介されていました。

まさか署長が部下にこれをやれと命令したはずもなく、署長としてはたまたま部下にそのような者がいたという気持ちになっても仕方なく、その意味では署長も一種の「被害者」なのですが、対外的にそれを口に出すことはあっていいことではなく、絶対にやってはならなかったのですが、口が滑ったようです。

立場というのはあくまでも相対的なものであり、被害者であって加害者にもなりうるという立場というものはよくあるものですが、それの認識と転換ができないと大変なことになります。

 

悪口にもヘイトスピーチにも頻発される差別語ですが、これを放送などでは使わないという言葉の言い換えはよく行われます。

これに対し、「言葉だけ変えても差別はなくならない」という立場から言葉の言い換えもしないということを主張する人もいます。

差別語というものの使い方にはいくつもの段階と場合があり、差別意識を持ってその言葉を使う場合もあれば、言葉は使っても差別意識はない、そしてその言葉が差別語だということを知らないなどがあり得ます。

差別がある以上、その言葉で被差別者は傷つくことがあり、「差別の存在と言葉の使用とは関係ない」というわけにはいかないようです。

ただし、「その言葉が差別語ということに気づかない」というのも問題ですが、誰にでもありそうな状況でもあります。

 

人間と人間との関係で悪意というのは誰にでも必ず現れることでしょう。

それを言葉に表すということも避けることができないのですが、できるだけ悪化させることのないようにしたいものです。