爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「18歳成人」の意識をどうやって持たせるのか。

1月8日は成人の日、その名前は変わっていませんが、成人年齢は18歳からとなっています。

しかし、その日に式典を執り行った自治体のほとんどは20歳の人々をその対象とし、さすがに「成人式」とは言えないということで「20歳の式典」などといった名称で行っています。

 

成人式などと言うものの意味がほとんど風化し、きれいな着物のファッションショーと化してからもう長い年月が流れていますが、ここまで徹底的に成人の日の意味を棚上げにして平気という自治体や対象者にはもう溜息しかありません。

 

私も成人式などというものはボイコット、出席もしませんでしたが、おそらくは来賓の挨拶や、首長の言葉で成人としての心構えなどといったことが形だけは話されていたことでしょう。

しかし「20歳の集い」ではそのような言葉も無意味となります。

すでに成人となってから2年経過している人々に何を伝えるのか。

 

民法改正で18歳成人となった時に、成人式を18歳にするかどうかと言った話が出た時に「18歳の1月は大学入試や就職準備で非常に忙しい」といったことが理由として出されました。

これも、成人の日が1月第2月曜であるからというだけからくる問題点であり、成人式を別の時期に行うことには何の問題もありません。

たとえば、ほとんどがその年度中に18歳となるはずの、高校3年生の春にでも成人式を設定し、そこで成人とは何かということをじっくりと説明する機会を設けたらよいのでは。

 

かくして、成人とはなってもなんの説明の機会もないまま放り出されているのが今の18歳の人々です。

 

それにしても、最初は大した行事でもなかったはずの成人式というものが、貸衣装業界や美容業界の多くの稼ぎどころとなってしまい、もう簡単には動かせないということになってしまいました。

その圧力にはなかなか抗しがたいということでしょう。