爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「フィッシュ・アンド・チップスの歴史」バニコス・バナイ―著

魚とジャガイモのフライ、フィッシュ・アンド・チップスはイギリスの国民食とも言われますが、他の国のそういった料理とは違って「家庭料理」という性格はないようです。

そこにはイギリスが他の諸国とはかなり違った歴史をたどっているということも関係しているようです。

 

海に囲まれたイギリスではヨーロッパでも大陸諸国と比べれば魚食の機会も多かったのでしょうが、しかしフィッシュ・フライにするためには「生の魚」が必要であり、それが広く手に入るようになるのは輸送手段も整ってきたごく近代になってからの話でした。

ようやく17世紀ごろになって魚も生のものを使った料理のレシピが普及するようになりました。

しかし、魚の衣揚げはそのようなイギリスの伝統的な料理法から生まれてきたとは言えないようです。

その発祥はイギリスにやってきたユダヤ人の風習から生まれたようです。

しかし彼らが店を作り売り出したフライドフィッシュはイギリスの労働者階級の貴重な栄養源となりました。

さらに、ジャガイモは紛れもなく新大陸から伝わったものですが、その後農民や下層階級の人々の食物として広く作られるようになりました。

それも最初はゆでて食べられていたものが、拍子木状に切って油で揚げるという方法がフランスから伝わったようです。

そして、そのフライドフィッシュとフライドポテトはイギリス労働者が暮らす街で売られる食物として19世紀にフィッシュ・アンド・チップスとして成立しました。

 

労働者の家族は生活のため夫婦共働きが普通で、食事も家で作る余裕もないため、買ってすぐに食べられ、しかも安価なものが求められていました。

それに最適だったフィッシュ・アンド・チップスは毎日の夕食として家族分が購入され、そのまま持ち帰って食べられていました。

中産階級以上が普通だった作家などから見れば油臭く粗野な食べ物であり、侮蔑したような記述がたくさん残っていますが、労働者にとっては重要な食物だったのです。

 

イギリスにおいてフィッシュ・アンド・チップスは20世紀前半に最盛期を迎えました。

しかし、次々とやってくる移民によって、1960年代には中国料理とインド料理の持ち帰り専門店が増加し、さらに少し遅れてアメリカからファストフード店がやってきて勢力を増やします。

フィッシュ・アンド・チップスの店舗は徐々に減っていきますが、完全に衰退したわけではなく一定の人気は維持していきました。

そこでは、労働者階級の食物という意識から「イギリスらしさを示す国民食」とまで言われるようになります。

 

ただし、その作り手は必ずしもイギリス出身者というわけではなく、初期にはユダヤ人、そしてその後ギリシアキプロス人、さらにイタリア人、中国人と人種は変わっていきます。

移民として渡ってきた人々にとって、フィッシュ・アンド・チップスの商売というものは資本も少なくて済み、調理技術もそれほど要らず、ただ一所懸命フライを揚げていれば収入になるという格好の職業だったようです。

 

フィッシュ・アンド・チップスの歴史の最初には、早くから工業化され労働者が多く都市に集まってきたと言うイギリスの事情が深く関係していました。

それが持ち帰り料理であったフィッシュ・アンド・チップスの隆盛となりました。

現在世界中に広がった都市文化というものの先駆けのようなものなのでしょうか。