爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「英国王室の食卓史」スーザン・グルーム著

王様の食事という印象は豪勢な料理が溢れるほど食卓に並べられているというものですが、これはフランス王室のルイ14世頃のイメージでしょうか。

イギリス王室も同様なのかどうか。

それは時代によってもかなり違うものでしょう。

そういったところまで、かなり詳しく検証し描写している本です。

扱っている時代は14世紀半ばのリチャード2世から現代のエリザベス2世まで。

王朝の系統も変わっていきますが、その点についてはさほど重点を置くことなく、あくまでも食卓というものだけにこだわって描写していきます。

 

最初の章はノルマン朝のリチャード2世ですが、その頃はまだ中世の雰囲気が強く料理といってもさほど手の込んだものを作るわけでもなく、ただ大量の肉を焼いて並べるといったものでした。

ただし、リチャード2世は王位を従兄弟のヘンリー・ボリングブルック(のちのヘンリー4世)に奪われるのですが、それは毒殺とも幽閉されて餓死とも言われています。

 

王の食卓は臣下や外国の客などと共に零れ落ちるほどの料理で満たされそれを手当たり次第に食べていくというイメージですが、それも国王の個性によってさまざまでした。

大食漢であったのは19世紀のジョージ4世でしたが、その父親のジョージ3世は節制と倹約が大好き、若い頃に節制しないと太ると言われたのがずっと心に残り、質素な食事のみをとり公開の正餐などは全く開かなくなったそうです。

 

17世紀に革命を逃れてフランスで亡命生活を送りその後イギリスに戻って即位したチャールズ2世の時代には舶来の食材が増えだし、紅茶やパイナップル、メロンといったものが紹介されるようになります。

しかし、食卓の料理としてはまだほとんどが肉料理であり、大半の廷臣たちは果物すら口にすることもなく、野菜はまったく食べなかったそうです。

 

19世紀初頭のジョージ2世は大食漢で肥満ということで有名だったのですが、まだ即位前で摂政皇太子と呼ばれていた頃にフランスの有名なシェフで、「シェフの帝王」と呼ばれたアントナン・カレームをイギリス宮廷に招聘しました。

カレームは宰相タレーランやナポレオンの料理人となった人ですが、イギリスに招かれて皇太子の料理人となったものの、グルメ(美食家)ではなく単なるグルマン(大食漢)であることが分かり、イギリスを去ってフランスに帰ったそうです。

 

19世紀後半、ヴィクトリア女王の治世下のイギリスは大国となり、各国の使節や来賓が続けざまにやって来る頃ですが、それを迎えた正餐も頻繁に開かれました。

しかし消化不良の女王はあまり食べることもできずに苦しんだそうです。

当時はまだフランス式配膳法と呼ばれる食卓の料理の配置で、一つのコースの料理がすべて食卓に並べられるというものでした。

客は自分の好きなものを取って食べられるというのは利点でしたが、食べたくても手の届かない料理は食べることができませんでした。

また温かい料理も一度に置かれるために冷めてしまいます。

そこで19世紀後半を過ぎるとロシア式配膳法と呼ばれる、銘々皿に厨房で盛った料理を給仕人が客の後ろから供するというスタイルに変わります。

これが現在まで続いているものですが、欠点もあり、客の数が限られること、その割に給仕人や配膳係が多数必要なこと、さらに給仕人が下手だとめちゃくちゃになるという危険性もありました。

なお、ヴィクトリア女王は終生早食いの習慣で、自分が食べ終わるとさっさと退出してしまい、食卓についた客はそれ以上は食べられないことになるので、不満を感じる人も居ました。

ハーティントン卿はあるとき女王が退出してもどうしても食べたい料理があったので、エチケットを無視してまた食卓に座って食べ始めたそうです。

 

現代のエリザベス2世と王族たちの食卓は、稀にある正餐以外はほとんどはイギリスの普通の家庭の食事となるよう、意識して行われているようです。

今はまだ男性王族が自ら料理をすることはないようですが、それも今後は変わるかもしれません。