爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「全国学力テストはなぜ失敗したのか」川口俊明著

小学6年と中学3年を対象としてすべての生徒が受験する全国学力テストはまだ実施されています。

どこが最高とか最低とか、事前の準備が過度に行われるとかいったニュースは断片的に流れることもあります。

しかし、教育社会学者の本書著者の川口さんから見れば、このテストは完全な失敗であり、それに年間数十億円の費用を掛ける価値はないということです。

その理由を詳細に解説しています。

 

本書はまずこの全国学力テストが引き起こしている混乱の数々を紹介、その後かつて行われていた全国学力テスト、そしてそれが取りやめとなってから40年の空白といった経緯を説明します。

さらに世界的に行われているPISAという学力調査を見ていくと日本の学力テストのどこがおかしいのかも見えていきます。

そして第4章で「なぜ失敗したのか」としてその原因を提示します。

さらに一応、「このテストを再建するには」として改善方法も述べています。

 

結論から言えば、このテストは「学力」を測っていないということです。

そもそも測るべき学力は何かということすら定義しようともしていません。

いや、その目的というものは実は「学習指導要領の定着状況を見る」ことだと文科省も述べています。

つまりその名称と中身が食い違っているということでしょう。

テストというものは、その性格から「指導のためのテスト」と「政策のためのテスト」に分けられます。

指導のためのテストとは、学校でよく行われているような生徒の理解の程度を確認して教え方を調整するようなものです。

これは生徒に接している教師が作るのが最良であり、その結果もフィードバックされます。また、「全員が満点である」ことがもっとも望ましい結果となります。

政策のためのテストとは子どもたちの学力実態を調査し、教育政策の立案の基礎資料とするためのものです。

現状の教育政策が妥当かどうか、それを判断するためのものであり、実はこれは全員受験という必要はありません。

標本抽出の手法により適当な規模で行なう方が望ましい結果となります。

さらに、これは「全員が満点」では困る結果となります。

できるだけ各人の学力が反映し結果がバラついて評価しやすい形になることが理想です。

これを現在の全国学力テストについて考えると、この性格付けが全くできておらず、どっちつかずの中途半端なものとなっています。

指導のためのテストであるなら、実施したらすぐに結果がでなければ利用できません。

しかしこのテストでは採点し結果が出るまで数か月かかります。

これでは何の利用価値もありません。

政策のためのテストであるなら、その問題は精選されしかも継続的に同じ問題が出されなければ年度ごとの比較もできません。

しかし現在のテスト問題は毎回公表されてしまうために毎年新しい問題が作られており、実際には年度ごとの比較ということができません。

さらにテストでどのような能力を測るかも曖昧なため、政策のためのテストとしての価値がほとんどありません。

そもそも、子どもたちの学力の実態を調査するという概念が全く欠けているようです。

 

本書他の部分にも非常に興味深い記述が多数あり、参考になりました。

 

かつて1950年代から60年代にかけて行われていた全国学力テストと40年を隔てて行われた現在のテストの比較(あまり比較はできないのですが)で興味深い点はあります。

過去のテストでは都市部と農村部の学力差、地域差というものが見られたのですが、現在のテスト結果では消えてしまったということです。

さらに大きな発見は、学校間に学力差が存在しそれと就学援助率とが密接に関わっているということです。

就学援助率とは経済的な事情があり学校で必要な教材教具などの購入を支援する制度で支援を受けている児童生徒の割合であり、これは確実な数字が残っています。

それを見てみると明らかに就学援助率が高い、つまり経済的に困窮した家庭の多い学校ではテストの結果も悪いということです。

このようなSES(児童生徒や学校の社会経済的背景)というものと学力の関係というものは徐々に調査されていますが、どうやら学力テストの結果というものは家庭の経済的な状況によって最も左右されているようです。

学力テストの結果を見て学校の教師の能力云々を言う風潮がありますが、そんなものよりはるかに大きいのが家庭の経済状況だということです。

 

OECDが行っているPISAという学力調査は耳にする機会もあります。

しかしこの実施条件等までは知られていないのではないでしょうか。

PISAで調べているのは、読解リテラシー、数学リテラシー科学リテラシーです。

調査対象はサンプリング調査され、結果は統計処理されますので得点そのものを比較しているわけではありません。

調べるのは学力と言われていますが、その学力とは何かということは示されています。

ただしそれはあくまでも主導している欧米の価値観を反映しているものであり、日本の感覚からは食い違うものもあるようです。

PISA調査で「読解リテラシー」とされているものは、日本では「読解力」と理解されていますが、日本の国語教育でいう読解力とは少し違っているようです。

日本の国語の授業では「主人公はこのあとどうしたか、主人公の気持ちを想像しながら考えてみよう」という課題を出すことがあります。

しかし、PISAではこのような「書いていないことを想像する」ことはかえって減点の対象であり文章に書かれていることだけを正確に読み取ることが求められます。

日本の子どものPISAの成績で数学や科学リテラシーに比べて読解リテラシーの点が少し低いのですが、こういった文化の違いがあるのかもしれません。

 

学力調査には無用論も根強くあります。

学力テストでは数学の能力や読解力といったものは測定しやすいのでそればかりが行われますが、美しい絵を描く能力や他者とのコミュニケーション能力というものは測定しにくく実際には学力テストでは行われません。

だから学力テストは不要かというとやはりそうでもないでしょう。

このようなテストの存在理由としては、公教育の質の保証というものがあり、学校の存在価値は税金を投入するにふさわしいものだということを示すというものがあります。

とはいえ、現在の全国学力テストはこのような目的に対しても非常に有効性が低いものでしかなく、多額の費用を掛けるのであればもっと有用なものにすべく検討する必要があるということです。

ただし、現在はこのような学力調査を有効なものとするに必要な人材・組織・社会が全く不足しています。

全国で少なくとも数百人の専門知識をもった人材が必要だということですが、現在は全く存在していません。

それを担当する国家的な組織が確保されることが必要なようです。

 

教育政策というものが単に政争の具にされるのではなく、真剣に考えられるべきものだということでしょう。