爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「石と人間の歴史」蟹澤聰史著

著者の蟹澤さんは地質学、岩石学が専門の学者ですが、その調査のために世界各地を訪れるとそこで石や岩を用いた人間の営みに出会ってきたそうです。

人類の文化を石との関わりから見ていこうという本です。

 

世界各地には古代から作られてきた岩石を用いた建造物があります。

多くの場合はそれに用いた岩石はその周辺で得られたものであり、その地域の地質学的な来歴によってその種類も限られてきます。

その中で石の用途によりできるだけ硬いもの、柔らかく加工が楽なものといった風に使い分け、人類文明の発展に利用されてきました。

 

本書は最初に「石とはなんだろう」と題した石についての基礎知識が説明されていますが、あとは世界各地の地質学的な歴史とそこの石を使った文明の関わりが地域ごとに記されています。

 

最初は「古い大陸とその周辺」で北欧など。

次に「テチス海の石」として地中海沿岸や中央ヨーロッパ、エジプト。

さらに「アジアの古い大陸とテチス海の石」でモンゴルや中国。

「新しい活動帯」としてくくられるのが、トルコ、イタリア、北米、日本。

さらに最後に隕石と宝石について。

 

古生代の終わり頃には地球上の大陸はほぼ一つに集合しており、超大陸パンゲアというものだけでした。

その端で現在のユーラシアやアフリカに面していたのがテチス海でした。

その後、パンゲアは分裂し移動するのですが、テチス海もそれに伴い様々な形となっていきました。

その名残と言えるのが現在の地中海であるようです。

テチス海の浅く暖かいところにはサンゴが生育しあちこちにサンゴ礁が発達しました。

それが堆積し大量の石灰岩が生じました。

その石灰岩はその後大陸衝突の際の高温による変成作用を受けて大理石となりました。

そのために地中海沿岸地方では石灰石と大理石が多いのだそうです。

アテネアクロポリスの丘自体も石灰岩なのですが、神聖な土地として守られたために採掘されずに残りました。

石灰石が地下水などの影響で溶解し移動して再び沈殿したものをトラバーチンと呼ぶのですが、イタリア・ギリシア文明などで岩石を用いたものには石灰石、大理石、トラバーチンを用いたものが多くなっています。

 

モンゴル高原ユーラシアプレートの一部であるシベリア楯状地と北中国地塊に挟まれた高原で、複雑な構成ではあるものの古い地塊からできています。

著者が初めてウランバートルを訪れた時に驚いたのが、歩道の敷石がみなアマゾナイト花崗岩という微量の鉛の入ったカリ長石を含む非常に美しい石であったことだそうです。

モンゴルでは普通に産出する岩石なので敷石にも使われているのですが、他ではほとんど見られないものだったようです。

 

日本でも糸魚川周辺でヒスイの原石が採れることは知られています。

ヒスイにはナトリウムを含んだヒスイ輝石と軟玉(ネフライト)というものがあり、ヒスイ輝石は低温・高圧で結晶化するために産出する場所が限られています。

その産地は日本、ミャンマー、ロシア、カザフスタン、カリフォルニア、などですが、中でも日本は多く産するということです。

軟玉は中国で多く産出し、古代から玉と呼ばれて彫刻などに使われていました。

ヒスイ輝石を生み出す地質条件としては低温・高圧というもので、これは日本のような大陸プレートと海洋プレートがぶつかり、海洋プレートが沈み込む位置で海洋プレートが低温であるためにこの条件がそろうということです。

 

日本では地震が多発するために石造建造物の文化はあまり栄えませんでしたが、それでも石器は縄文時代から作られており石と文化の関わりというものは古代から見ることができます。

その中でも建造物が広がった時期があり、戦国時代からしばらくの間は城の石垣の建造が数多く行われました。

これも多くの場合はごく近くの採石場からの石で建造されるのが普通ですので、地域によって石の種類の違いがあります。

ただし、大阪城のみは豊臣秀吉がその権力を見せるために全国各地から石材を取り寄せたために多くの種類の石が使われているということです。