爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「日本列島の下では何が起きているのか」中島淳一著

著者の中島さんは地震学が専門ですが、それだけにとどまらずに様々な方向から日本の地下での様々な現象について説明をしました。

そのため、専門から少し外れた部分は調べ直して書いたところもあるそうです。

また、プレート収束境界やマントルウェッジといった分野では学問の発達の速度が非常に速く、最新の情報を追うのに苦労したということです。

 

その努力の甲斐あってか、本書の内容は非常に高度でさらに新しい知見も取り入れられているようで、(はっきりとは分かりませんが)現時点では最上のものかもしれません。

ただし、一般読者から見るとちょっと難しすぎるかもしれません。

 

本書冒頭のプロローグに書かれているように、世界の中でもこれほどプレートが重なり合った場所は珍しく、さらに「プレートの沈み込み」が大規模に起きているのが特徴的な地域です。

そのために、次々と巨大地震が起き、火山噴火も絶え間なく続いていますが、一方では日本列島というものが出来上がったのもその「プレートの沈み込み」があればこそと言うことができます。

また、最近の研究から「断層強度を低下させる」「岩石を溶けやすくする」「岩石の変形を促進する」という現象が知られるようになり、そのすべてに「水」が関わっていることが明らかになっています。

水が、プレートの沈み込み帯で様々な役割を果たすということが、日本列島を変動させる要因の重要な一部であるということです。

 

プレートテクトニクス理論は、1912年にウェゲナーによって発表された大陸移動説に始まりますが、当初はほとんど認められることはありませんでした。

しかし、1950年代になって地磁気の歴史を探るという古地磁気学が発達すると、大陸というものが移動したのでなければ説明がつかなくなりました。

そこから大陸を載せて移動するプレートというものの存在が確信され、その移動に伴って地震などが起きるということが証明されていきます。

 

とはいえ、プレートそのものを観察することはできません。

それを測定していくのは「地震波トモグラフィー」という方法を使うものでした。

地震波の伝わる速度というものが、場所によって異なるということが見いだされ、それが地下の岩石などの構造によるものだということが分かってきたために、それを手段として地下構造を推定するCTスキャンのような働きが期待されます。

ただし、CTスキャンと異なり、地震波トモグラフィーでは「意のまま」にデータを得ることはできません。

地震が起きない限りその地域のデータは取ることができず、また起きたとしても地震の少ない地域は構造推定の精度が低くなります。

 

現在の日本列島では、ユーラシアプレートに南からフィリピン海プレートと太平洋プレートが押し合いながら潜り込むという構造になっていますが、日本列島が作られ始めた1億3500万年前にはまだ若かった太平洋プレートのまわりを、イザナギプレート、ファラロンプレート、フェニックスプレートという3枚のプレートが取り囲んでいました。

イザナギプレートがどんどんと沈み込んでいき、約5000万年前には大陸の下へと完全に姿を消したのですが、その時に残した付加体が日本列島の基礎となりました。

 

少し前の学説では、日本列島の周囲にはユーラシアプレート、北米プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートの4つのプレートがあるとされていました。

しかし、太平洋プレート、フィリピン海プレートの境界は明白なのですが、ユーラシアプレートと北米プレートの間の境界は不明なままでした。

現在の新説では、北米プレートの先端に独立してオホーツクプレートがあり、ユーラシアプレートの先端にもアムールプレートが存在し、それが海洋の太平洋・フィリピン海プレートと押し合っているということになっています。

 

ここから後は地震や火山噴火の発生にプレートの動きや取り込まれた水の関わりが説明されていきますが、初めに書いたように非常に難しい内容ですのでその解説は省きます。というか、よく分かりませんでした。

 

しかし、最終章に特に「関東地方の地下でなにが起きているか」と題してその特異性を説明されていますので、そこだけは少し引用しておかなければならないでしょう。

 

関東地方の地下にはオホーツクプレートがあり、そこに南から2つの海洋プレート、太平洋プレートとフィリピン海プレートが沈み込んでいます。

実は房総半島の南東にあるこの3つのプレートの収束境界は、「三重会合点」と呼ばれるように3つのプレートが一点で交わるという、世界でも唯一の場所です。

そのために、この地域での地震発生のメカニズムも他所にはないような複雑なものとなっています。

関東地方で発生する地震には次のタイプが存在します。

タイプ1,陸のプレート(オホーツクプレート)内で発生する地震

タイプ2、フィリピン海プレートとオホーツクプレートの境界で発生する地震

タイプ3,フィリピン海プレート内で発生する地震

タイプ4,太平洋プレートとフィリピン海プレートの境界で発生する地震

タイプ5,太平洋プレート内部で発生する地震

タイプ6,太平洋プレートとオホーツクプレートとの境界で発生する地震

 

この内、タイプ2,3は日本でも他の地方にはないもので、関東地方特有のものです。

これに関わるフィリピン海プレートは深さが太平洋プレートより浅く、地下20~60km程度であるため、地震が起きると被害も大きくなるという特性があります。

1923年の関東地震(大正関東大震災)がこのタイプでした。

大規模な火災が発生し、焼死者が多かったのですが、実は相模湾には大きな津波が押し寄せ、その被害者も多数になりました。

震源域がすぐ近くだったために、地震後早いところでは5分で津波が押し寄せています。

さらに、安政江戸地震、明治東京地震もこのタイプの可能性が強く、東京地区に大きな被害をもたらす地震が数多く起きていることが分かります。

 

このような危険地帯に国の最重要施設をかためて置いていることがとんでもない愚策であるということが分かるのは何時でしょうか。

よりによって、とんでもない地域に暮らしているもんだと改めて呆れます。