爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「子ども格差の経済学」橘木俊詔著

日本では子どもの教育には非常に金がかかると言われています。

公立の小中学校なら授業料は無料ですがそれだけでは進学が難しいということで学習塾などに通わせることが多くなっています。

それ以外にも習い事と言われる、スポーツや芸術などを習得することも広く行われており、こちらにも相当な支出が必要です。

また学校でも私立の場合は費用がかさみ特に私立の医科歯科の大学などは普通のサラリーマンではとても払いきれないほどの納入金が必要とされます。

 

そのため、こういった費用を払えるかどうか、そういった親の格差がそのまま子どもの格差につながるのではないかと言われています。

 

著者の橘木さんは経済学者ですが、人々の格差というものを経済学的に捉えるということを専門としており、多くの著書でも知られています。

 

この本では、学習塾、ピアノやサッカーなどの習い事、そして一人の子どもを育てるのにいくらかかるのか。

さらにこのような教育費用のほとんどを親の負担としている日本の実情はどのようにできてきたのか。

ということを実際のデータを豊富に使い論じていきます。

そして最後の章では子どもたちを育てるために親は、そして社会はどうしたらよいのかということを示しています。

 

いわゆる受験名門校、灘高や開成、麻布などなどの高校に入るためにはほぼ必ず学習塾に行かなければなりません。

それに要する費用もかなりのもので、十分に塾に通わせるためには相当な支出を覚悟しなければなりません。

そのような上位の受験専門塾ばかりでなく、一般的なものや補習専門の塾まで含めれば特に小中学生ではほとんどの子どもたちが塾に通っているようです。

なお、高校生になると「塾に通っているか」と聞かれ否定しても「予備校」に通っている場合が多いため通塾率は減るものの実態は異なるようです。

 

通塾率というものは1970年代から90年代にかけて急激に増加しました。

そこにはゆとり教育の作用もあるのかもしれません。

また上級学校の大学への進学率が大きく増加したのも一因かもしれません。

ただし、通塾に関しては親の年収というものが大きく影響しています。

中学生くらいの子どもの親はまだそれほど年収が高くはないのですが、その中からかなり大きな金額を支出することになります。

低収入の親はそこでもうあきらめるということにもなり兼ねません。

 

スポーツ芸術の習い事というのも多くの子どもたちが通って(通わされて)いますが、こちらは小学生が圧倒的で中学生になると減少していきます。

その中でもスイミングと楽器の練習(ピアノ)が非常に多く、またピアノはほとんどが女子です。

その中にはその道でプロを目指すということもありますが、それはごくわずかな人数に止まり、ほとんどがざっと経験すれば終わりといった程度です。

そしてその大半は「悪い思い出」でしかないという場合が多いようです。

 

子どもが学校卒業するまでの学習関係の費用総計というものを見るとあまりの大きさに驚くほどです。

小中学校は公立では直接の授業料は無料ですが、その他の費用そして学校外教育費というものはバカになりません。

それでも幼稚園から小中高と公立だけとした場合はすべてを私立に通わせた場合とは大差があります。

大学では国公立大学の授業料が大幅に上がったためそれほど公立と私立の差がないようですが、それでも私立大で医歯系に進学した場合の費用は格段に多くなっています。

また、大学の多くの場合で自宅外から通学する場合がありますが、その場合の生活費は特に都会に行った場合には大きなものであり、考慮が必要です。

 

このような教育関係の費用というものは、日本ではほとんどが親の負担となっています。

それが普通かのように感じられますが、世界的に見れば全く異なります。

教育費をGDPの何%かということを調べたものがあり、2013年ですが日本は全教育段階でも3.8%、高等教育段階だけでは0.7%ですが、これはチェコやチリといった国々より低い比率で、OECDの先進国の多くははるかに高い値となっています。

最高はノルウェーの全段階8.8%高等教育段階2.6%、北欧が高いのですが、ヨーロッパ各国もそれに続き多くの費用を教育にあてていることが分かります。

言ってみれば「日本は公的部門が教育関連の支出をほとんど行っていない」とも言えるような状況です。

 

これは江戸時代の寺子屋教育の段階から同じように教育費用は親の負担というものでした。

明治になっても高等教育を受けられるのはごく一部のエリート層だけでした。

教育、特に大学や大学院といった高等教育はそれを受けることで高収入が得られるなどのベネフィットがあることを意味し、その教育費用も個人負担が当然という感覚が普通だったためでしょう。

ただし、実態を見てみると教育水準の高い人が生涯年収も高いというのはどの国でも見られるのですが、その中で日本は学歴別の収入差が非常に小さいということになっています。

日本は学歴社会だと言われていますが、実態は他の先進国と比べてもそれほどではなく、高収入を得るのは実力次第といった方が正しいようです。

してみると、高学歴、有名校進学を目指すために高額の教育資金を注ぎ込むのはさほどリターンが高くないとも言えます。

 

特に北欧の各国で高等教育に多くの公費を支出しているのは、そういった高学歴者を養成するのは社会の利益になるという観念もあるためです。

自らの収入を上げることはあってもそれで社会全体が力をつけて収入が増えるということを信じているからでしょう。

それが無い日本で社会全体の科学力技術力が低下しているのもそれを示しているのかもしれません。

 

ならば日本の教育をどうすれば良いのか。

公費の行先を相当変えなければならないことでもあり、簡単な話ではなさそうです。

 

私自身、小中高大とすべて国公立、うちの子どもも同様にすべて国公立で済ませることができました。

しかも学習塾にはほとんど通わず、わずかに息子がスイミング、娘がピアノをやっただけ。(ただし、両方とも”悪い記憶”になっているかも)

経済的にはかなり楽に済ませることができたようです。