爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「なぜ英国は児童文学王国なのか」安藤聡著

アリス、ピーターパンからナルニアハリー・ポッターまで、英国には児童文学の名作が多いようです。

英語で書かれているから世界に広まりやすいという面はありますが、文学というのは他の芸術分野はそれほど突出していない中で特に名作が輩出するということが見られます。

その中でも児童文学は伝記・推理小説と並び特に顕著な分野と言えます。

 

なぜそのように英国において児童文学が栄えたのか。

まず子供の識字率が高くなければならず、さらに親が子供に本を買い与えるだけの経済的余裕がなければならないというのは最低条件です。

しかしそれ以上に必要な要因として、児童文学研究家として活躍した高杉一郎は、民族多様性に起因する神話・伝説の混交、北国に特有の内向的な想像力、幼年時代を重視する児童観、大人の言葉と子供の言葉の乖離が小さいことをあげました。

 

それに加えて著者が挙げた要因が次のものです。

親の不在。

名作の数々には親が出てこないものが多いようです。

これは英国の家庭事情として子供を別室に置くこと、ある程度成長したら全寮制の学校に入れることが多かったことがあるからです。

これは子供が自由に行動できるということにつながります。

そしてもう一つは、子どもが過去と切り離されているということを表すということです。

さらに名作の数々は「子供が退屈している」ことから始まります。

英国では子供が自由に遊べるような環境が中産階級にはありませんでした。

家庭教師がつけられたり、全寮制学校に入れられたり、監視の目が厳しく遊んでいられないから退屈していたということです。

 

次章からは名作の数々とその著者について語られます。

ルイス・キャロル、エリザベス・グージ、フィリッパ・ピアスマイケル・ボンドロアルド・ダールC.S.ルイス、J.R.R.トルキーン

詳しい方なら著者の名前だけで分かるかもしれませんが、私はルイス・キャロルのアリスしか知りませんでした。

 

アリスは不思議の国に行きますが、そこでも居心地の悪さを感じます。

それは自己同一性の危機や変化に対する当惑というものと密接に関係しています。

本来いるべきではない不思議の国というのはアリスの成長の過渡期の不安定な状態と同様のものと言えます。

このような状態とうまく噛み合うのがキャラクターのグロテスクさだったのです。

この点でディズニー映画はこの物語の本質とは何の関係もなく、単に不思議の国の荒唐無稽という表層的な特徴を映像化しているにすぎないからです。

キャロルの原作とディズニーの映画の間には表面的なあらすじを除いて何の共通性もないと批判しています。

 

ナルニア国物語」のC.S.ルイスと「指輪物語」のJ.R.R.トルーキンは青年時代に知り合い最初は非常に深い親交を結んだもののその後はすれ違いが多くなり遠ざかったそうです。

 

ロアルド・ダールはその晩年の名作「マティルダ」の中で、「C.S.ルイスは優れた作家だがユーモアがない」と主人公に語らせています。

しかしどうやらダールのユーモアとルイスのユーモアは少々性質の違うもののようですが、決してルイスにはユーモアがないとは言えないもののようです。

 

なかなか巧みな紹介でイギリス児童文学の名作への興味を高めるようなものになっていますが、それでもこれでナルニア指輪物語を読もうという気にはなれそうもありません。