日本の政界の中心部で右傾化が進み、日本の伝統ということが声高に言われるようになりましたが、梅原さんにとっては彼らの言う日本の伝統なるものなどは、高々明治時代以来むりやり作り上げてきた天皇中心の観点に過ぎず、日本の伝統などとは言えないものだと感じていました。
そのようなテーマでまとめられたこの本は、2007年から2008年にかけての梅原さんが80代の頃に各地で講演された内容をまとめたものと、やすいゆたかさんとの対談が収められています。
講演のテーマは、「天台本格思想と環境問題」「聖徳太子と法隆寺」「親鸞のこころ」「勝修羅の鎮魂」「日本の伝統とは何か」というものです。
日本の伝統の多くを占めているのは、神仏習合です。
仏教が伝来しその後のごく早い時期に神道との集合が行われ、長い時代に渡って融合してきましたが、明治以降に仏教を神道から追放するということが行われました。
そしてその結果神道の側でも衰退が起こり、結果として残ったのが天皇を神とする国家神道だけだったというものです。
それを日本の伝統などと強弁することはできないというのが梅原さんの主潮です。
多くの文明では太陽を信仰してきました。
これはそのほとんどが農業を主とするものである以上自然なものでした。
エジプト文明、長江文明などもそうですし、日本でもアマテラスは太陽神でした。
ところがギリシア文明は商業文明でしたので太陽崇拝を忘れてしまったのです。
ヨーロッパ文明はギリシアを基としていますが、もう一度エジプト文明を思い出すべきだということです。
日本の歴史観は本居宣長と津田左右吉によって左右されてきました。
本居宣長は国粋主義ですが、津田宗吉は凡人史観だというのが梅原さんの見立てです。
津田は現地を見ようともせず、頭の中だけで考えた史観を作り出したと批判しています。
古事記は藤原不比等が捏造した藤原氏中心主義のものだというのも面白い主張でしょう。
その内容は天皇の外戚が活躍するというもので、まさに不比等が目指していた体制を賛美するものでした。
稗田阿礼なる卑賎の人物が口承したと言われていますが、そのような人物が実在したとも思えず、これは不比等の偽名であるだろうということです。
梅原猛は斬新な主張を数々してきましたが、他の歴史学者、宗教学者などからは強く批判されているようです。
しかしすべてが正しいとは言えずとも真実が混じっているようにも感じさせます。
80代の時点でまだまだ著述する対象が数多く、10年や20年はかかると語っていますが、2019年に93歳で亡くなりました。
おそらく書き残したことがかなりあったのでしょう。