いつも大変深いテーマで書いておられるかめきち(kame710)さんのブログで、「タンチョウと私のねじれ」と題し保護されるタンチョウと駆除されるエゾシカについて紹介されていました。
このブログにはコメントなどできないように設定されていますので、こちらで紹介方々思うところまで書いてしまいます。
釧路湿原のタンチョウは餌を与えられ保護されているのに、エゾシカは駆除される。
その違いはどこから来るのか、あくまでも人間の都合次第ということです。
タンチョウがいたのが釧路湿原だったのが幸い、もしも他の田園地帯であれば絶滅していたというのも間違いない話でしょう。
さらに、エゾシカなどの抑制のためにオオカミを再導入しようという運動についても書かれています。
オオカミの再導入ということは、すでにアメリカで実施させています。
イエローストーン国立公園周辺ではかつてオオカミを絶滅させてしまったためにワピチという鹿が繁殖し植生に障害が出るほどになってしまいました。
そのため、ワピチなどを食べるオオカミをその地域に再導入することでその数を制限しバランスを守ろうとしたということです。
このように地域の生態系のバランスは上位捕食者(キーストーン捕食者、アンブレラ種などと呼ばれるようです)が絶えることで崩れてしまい、植物食性の動物が繁殖することでその付近一帯の植物が荒廃するということは、日本でも多くの地域で見られます。
日本もかつてはオオカミが山野に生息し動物を狩って食べることで一定の生態系を守っていたと考えられます。
しかしオオカミは人畜に有害ということで徹底的に排除され、日本では絶滅しました。
その結果、シカなどが繁殖し若い樹木を食べることで山林が再生しなくなっています。
しかし、そんなにうまく行くものかと疑問がすぐに浮かびます。
放されたオオカミたちにとっては、野生動物も家畜も(そして人間も)区別はできません。
捕獲するのに面倒な野生動物などを狙うより、簡単に捕まえられるのは家畜でしょう。
当然のように防御の弱い家畜を狙い襲うという事件が多発すればやはりオオカミは危険ということになるのは目に見えるようです。
オオカミの再導入などと言うことも、完全に「人間の都合」ということが分かりますが、そもそもの話の始めの「かめきちの目」に引かれている、タンチョウとエゾシカの処遇の違いも人間の都合以外の何者でもありません。
それに関わっている人たちのどちらも、生活のためにはそうするしかないのでしょうが、生き物の生命を左右するのが人間だということを表しています。
やはり、日本列島にとって最悪の外来生物は人であったということでしょう。