爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「十二支になった動物たちの考古学」設楽博己編著

年のめぐりと動物とを組み合わせた「十二支」は、中国古代に出来上がりました。

その起源は殷の時代にまでさかのぼるようですが、動物を当てはめるという現代まで続く形になってきたのは秦の時代だったようです。

そこで使われていた動物は、当時の中国で身近なものが選ばれました。(龍は”身近”に居たとは思えませんが、観念的には身近なものでした)

本書ではその動物たちが人間とどう関わってきたのか、考古学的な遺物を見ながら考えていきます。

 

トラ(アムールトラ)は40万年前の日本列島には生息していたのですが、その後絶滅してしまいます。

しかし大陸から朝鮮半島までにはトラが住み、人間との間に闘争が繰り広げられました。

強者であるトラには被害も受けましたが、その強さに対する畏怖心もあり、宗教的に崇められることもありました。

自然界では一番強い動物であるという意識から、帝王にふさわしいものという感覚で見られるようになります。

また強さに憧れて武器や戦車などの装飾品にも使われるようになりました。

四方の方角を司る四神の一つ、白虎として崇められますが、白虎は西方を表しました。

そのような四神思想は日本にもそのまま渡来し、古墳時代の銅鏡の装飾などにも描かれていますが、実物を見たことのない日本人には想像しにくいものだったようです。

 

イヌは日本列島には縄文時代早期からいたという証拠はあります。

その当時の特徴として、イヌは墓を作って埋葬されていました。

中には骨が折れてのちに治療した痕跡がある場合もあるため、シカやイノシシなどの猟の際に狩猟犬として使っていたものと思われます。

そのため、大切に扱われていたのでしょう。

ところが、弥生時代になるとイヌの扱いが激変します。

イヌの骨はまとめて捨てられていることが多く、どうやらこの時期には食用にされていたようです。

弥生時代に渡来した大陸からの人々が、イヌを食用にするという風習を持ち込んだのでしょう。

ただし、狩猟に使われるイヌがいなくなったわけではなく、一部には大切に埋葬されたイヌの遺体も出土するので、両者が共存していたのでしょう。

 

ヒツジはもともと日本列島には生息していませんでした。

しかし、大陸では東から西まで遊牧民族がいるところでは最も重要な家畜でした。

そのため、遊牧民族の影響が始めから強かった中国では、ヒツジも重要視されており、そのため十二支にも入っています。

漢字の成り立つ時期にもヒツジの存在が大きく、「美しい羊」で「美」、「めでたい」と言う意味で「祥」など、「羊」の文字が重要な意味で使われていることが多いようです。

日本にも入ってこなかったわけではないのでしょうが、日本列島はヒツジの生育に適していないらしく定着はしなかったようです。

しかし、中国から入ってくる文献にはふんだんに扱われている「ヒツジ」の概念だけは行き届きました。

「羊羹」はもともとは「ヒツジの肉をもちいた羹(あつもの)」つまりスープを意味するのですが、日本ではあまりヒツジを意識することなく、そのうちに小豆と寒天を使った練り羊羹になってしまったのでしょう。

 

人間だけの歴史ではなく、動物も同じように歴史の中を生きてきました。

それを説き明かす「動物考古学」というものも面白いもののようです。

 

十二支になった 動物たちの考古学

十二支になった 動物たちの考古学

  • 作者:設楽 博己
  • 発売日: 2015/11/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)