爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「聖地巡礼」岡本亮輔著

聖地巡礼といえば日本では四国八十八か所のお遍路、スペインではサンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼でしょうか。

しかし最近ではアニメの舞台を訪ねるということも聖地巡礼と呼ばれているそうです。

そのような聖地巡礼にまつわるあれこれ、あくまでも学術的に書かれています。

 

聖地巡礼といってもその目的地となる聖地という場所は今では信者だけが訪れるわけではありません。

どこでも観光客であふれていて宗教的な信仰心からそこを訪れる信者という人たちはほとんど見られません。

しかし本当に巡礼か観光かと二分され得るものなのか。

観光客にも幾分かは宗教心があり、信仰者にも観光的な部分があるものではないか。

 

サンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼には1章を割いて詳細に語られています。

サンティアゴ大聖堂を到着点とする巡礼は十字軍でエルサレム巡礼が危険になった頃から盛んになり最盛期には年間50万人もの人が訪れました。

しかし近代になり巡礼者はどんどんと減少し、1986年には年間2500人しかいなくなってしまいました。

ところが20世紀末になりブラジルの小説家パウロ・コエーリョの「星の巡礼」、ハリウッド女優シャーリー・マクレーンの「カミーノ」で紹介され世界的に注目されるようになります。

巡礼者も増え続け2010年には年間で27万人が訪れました。

この巡礼者のほとんどは熱心なキリスト教信者ではないということです。

キリスト教徒ではあっても普段は教会にもほとんど行かない若者たち、さらにはキリスト教徒以外の人々など。

そしてそういった人々ほど「全行程を徒歩で」2‐3か月をかけてたどり着くのだそうです。

彼らには本来のサンティアゴ巡礼の信者たちが持っていたキリスト教信仰は無いかもしれません。

しかし数か月をかけて徒歩でたどり着くという体験をすること、そして周囲の人々とも同じ思いを共有するということで普通では得難い心理状態を得るのだそうです。

かえって、サンティアゴ大聖堂の聖遺物の前で祈るのが目的という本来の意味の巡礼たちはそのような徒歩旅行をするのではなく、バスや車を利用します。

そういった信者と徒歩巡礼を求める人々のどちらが本物か。それは聞くだけ無駄な質問でしょう。

 

日本では社会全体で聖地と認められているもののほかに、自分だけの聖地を作り出してしまう人々もいます。

パワースポット(典型的な和製英語です)というものを見つけ出すというのがブームのようになっており、本などで見たものを自分でも訪れて実感するということをやっています。

その対象は神社や仏閣のようなものもあり、自然物もあり様々ですが、必ずしも社会一般でそう認識されているわけではありません。

自分一人だけでもそう思い込み「パワーが貰えれば」満足する、自分専用の聖地です。

 

アニメの舞台となった場所をファンが訪れることも聖地巡礼と呼んでいますが、それにも色々な想いが交錯しているようです。

こういった動きはアニメに限ったものではなく、小説や映画、ドラマの舞台をファンが訪れるということはよくあることであり、そのために大河ドラマの誘致合戦を行なうということもよく聞くことです。

埼玉県久喜市鷲宮神社というところも、アニメ「らき☆すた」の舞台だという噂によって火が付きました。

関係者もそれを上手に利用しながら参拝者や祭りの参加者を増やすといったことをしているそうです。

 

初詣や旅の途中での神社参拝など、とても信仰心でとは言えないようなものだと思っていましたが、そう簡単に割り切れるようなものではないのでしょう。